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[[File:Thure de Thulstrup - L. Prang and Co. - Battle of Gettysburg - Restoration by Adam Cuerden.jpg|thumb|[[南北戦争]]で事実上の決戦となった[[ゲティスバーグの戦い]]]]
 
[[北西インディアン戦争]]勝利により、1795年に[[北西部領土 (アメリカ合衆国)|北西部]]を手に入れる。未開の地であった西部の勢力拡大を目指し、1803年の[[フランス]]領[[ルイジアナ買収]]を行った。しかし、イギリスが西部開拓を阻んだため、1812年に[[米英戦争]]が勃発するも1814年に[[ガン条約]]を締結して事態は収拾し、西部進出を進めていった。入植時から続いていた[[インディアン戦争|先住民との戦争]]を続けながらも、1819年の[[スペイン]]領[[アダムズ=オニス条約|フロリダ買収]]、1830年の[[インディアン移住法]]によりインディアンを西部に移住させると、1836年の[[メキシコ領テキサス]]での[[テキサス共和国]]樹立と1845年のアメリカへの併合、1846年の[[オレゴン条約]]、および[[米墨戦争]]による[[メキシコ割譲地|メキシコ割譲]]により、領土は[[アメリカ西海岸|西海岸]]にまで達した。現在の[[アメリカ合衆国本土|アメリカ本土]]と呼ばれる北米大陸エリアを確立したのである。
 
この頃から遠洋捕鯨が盛んになり、[[太平洋]]にも進出を始めた。1850年代、[[鎖国]]状態だった[[日本]]へ食料や燃料調達のために開国させることを目的に米軍艦を派遣。二つの[[不平等条約]]を締結し、開国させた。以後、アジア外交にも力を入れるようになっていく。
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1861年、[[奴隷制度廃止運動|奴隷制廃止]]に異を唱えて独立宣言を発した[[アメリカ合衆国南部|南部]]の[[アメリカ連合国|連合国]]と北部の合衆国の間で'''[[南北戦争]]'''が勃発し、国家分裂の危機を迎えた。これを受けて1862年に[[エイブラハム・リンカーン]]大統領によって'''[[奴隷解放宣言]]'''が発表され、1865年に南北戦争は合衆国の勝利で終結し、連合国は解体された。だが、法の上での[[アフリカ系アメリカ人]]や先住民など、その他の少数民族に対する[[人種差別]]はその後も続くことになる。
 
南北戦争後、鉄道網の発達と共に本格的な[[西部開拓時代]]に突入した。19世紀後半には、鉄鋼業や石油業が繁栄し、アメリカ経済が大きく躍進した([[金ぴか時代]])。[[トーマス・エジソン|エジソン]]などの発明家によって、[[白熱電球]]や[[電話]]など、現代文明に欠かせない発明が次々に行われ[[黄金時代]]を迎える基礎を築いた。
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===海外進出と世界恐慌===
[[File:Ellis island 1902.jpg|thumb|[[移民]]流入の主な玄関口であった[[ニューヨーク]]・[[エリス島]]]]
南北戦争後も諸外国との戦争などを通して、海外領土の拡大が続けられた。1867年には、[[アラスカ州|アラスカ]]を[[ロシア]]から[[アラスカ購入|購入]]し、1898年には[[ハワイ王国]]が併合され、スペインとの[[米西戦争]]に勝利して[[グアム]]、[[フィリピン]]、[[プエルトリコ]]を[[植民地]]にし、[[キューバ]]を[[保護国]]に指定した。これにより、現在の北米・太平洋圏でのアメリカ領土が確立した。1899年-1913年にかけてフィリピンを侵略。[[米比戦争]]を行い数十万人のフィリピン人を虐殺し独立を鎮圧する。1900年には[[義和団の乱]]平定に連合軍として[[清]]に派兵する。1910年代から[[外国人土地法]]を徐々に施行し、有色人種に対する締め付けを強化した。1914年7月28日にヨーロッパで勃発した'''[[第一次世界大戦]]'''では当初中立を守る一方、1915年に[[ハイチ]]、1916年に[[ドミニカ共和国]]に出兵して占領し、軍政を敷くなどの西半球における権益確保政策を採った。[[ルシタニア号事件]]などの影響もあり、次第に[[連合国 (第一次世界大戦)|連合国]]([[イギリス]]、[[フランス]]、[[イタリア]]、[[日本]]など)に傾き、1917年には連合国側として参戦した。1918年には[[共産主義]]の拡大を警戒して[[シベリア出兵]]を行った。
 
1918年11月11日に終結した[[第一次世界大戦]]後は、1919年の[[パリ講和会議]]で[[ウッドロウ・ウィルソン]]大統領の主導によって'''[[国際連盟]]'''設立と[[人種差別撤廃案]]阻止<ref>憲政の政治学 坂野 潤治・小林 正弥・新藤 宗幸 (編集) 東京大学出版会 2006/01 ISBN 4-13-030138-1</ref>に大きな役目を担ったが、[[モンロー主義]]を唱えてヨーロッパへの不干渉および[[ラテンアメリカ]]に対する権益の維持をしようとする[[アメリカ合衆国上院]]の反対により連盟への加盟はしなかった。しかし、他の戦勝国とともに5大国の一員として注目されることになる。国内では首都[[ワシントンD.C.|ワシントン]]を始めとする多くの都市で「[[赤い夏]]」などの人種暴動により数万人が死傷した<ref name="国家と人種偏見">国家と人種偏見 ポール・ゴードン・ローレン著 大蔵雄之助訳 阪急コミュニケーションズ 1995/09 ISBN 4-484-95112-6</ref>。1924年には[[排日移民法]]を施行するなど人種差別政策を強めていった。1927年に出兵していた[[ニカラグア]]で[[アウグスト・セサル・サンディーノ|サンディーノ]]将軍に率いられた[[ゲリラ]]が海兵隊を攻撃したため、1933年にアメリカ軍はニカラグアから撤退し、従来の政策から善隣外交([[:en:Good Neighbor policy|Good Neighbor policy]])に外交政策をシフトした。
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[[冷戦]]においては、ソ連を盟主とした[[東側諸国]]の[[共産主義]]・[[社会主義]]陣営に対抗する[[西側諸国]]の[[資本主義]]・[[自由主義]]陣営の盟主として、[[西ヨーロッパ]]諸国や日本、[[大韓民国|韓国]]、[[台湾]]([[中華民国]])などに[[マーシャル・プラン|経済支援]]や[[NATO|軍事同盟]]締結などで支援した。'''[[朝鮮戦争]]'''、'''[[ベトナム戦争]]'''、[[グレナダ侵攻]]など世界各地の紛争に介入している。グレナダ侵攻の際は宣戦布告を行わなかった。ベトナム戦争では[[トンキン湾事件]]で事実を一部捏造し本格的介入に踏み込んで行った。核兵器の製造競争などもあり、[[ジョン・F・ケネディ]]大統領の時にソ連との間で'''[[キューバ危機]]'''が起こるなど、[[核戦争]]の危機も度々発生した。
 
冷戦中に「自由と民主主義の保護」の理念を掲げたが、国益追求も一つの目的でもあった。実力行使で理念と矛盾する事態すら引き起こし、ベトナムへの介入は西側、東側諸国を問わずに大きな非難を呼び、国内世論の分裂を招いた。「反共産主義」であるという理由だけで[[アジア]]や[[ラテンアメリカ]]諸国をはじめとする世界の右派軍事独裁政府への支援や軍人に対しても[[パナマ]]の[[米州学校]]で「[[死の部隊]]」の訓練を行った。こうして育てられた各国の軍人は母国で[[クーデター]]を起こし、母国民に対して政治的不安定と[[貧困]]をもたらす結果となっていった。
 
同時に、大戦の後遺症に苦しむ西欧諸国や日本、韓国、台湾(中華民国政府)など同盟国への支援と安全保障の提供は、経済成長をもたらす一因ともなって東側との大きな生活水準格差を生み出し、後に[[東欧革命]]の原動力の一つになった。
 
===人種差別と公民権運動===
「民主主義国家」を標榜するアメリカであったが、1862年の奴隷解放宣言以降や第二次世界大戦後に至っても南部を中心に白人による[[人種差別]]が法律で認められ、一部の州では結婚も禁止する人種差別国家でもあった。1967年まで16州で白人が非白人と結婚するのを禁じていたが、アメリカ最高裁判所が異人種間結婚を否定する法律を憲法違反と判断した<ref>http://jp.wsj.com/US/node_394334?google_editors_picks=true</ref>。1960年代にはこの様な状態に抗議する[[キング牧師]]を中心とした[[アフリカ系アメリカ人]]などが、法の上での差別撤廃を訴える[[公民権運動]]を行った。これらの運動の結果、1964年7月に[[リンドン・ジョンソン]]大統領の下で'''[[市民権法#アメリカ公民権法|公民権法]]'''(人種・宗教・性・出身国による差別禁止)が制定された。
 
しかしその後も差別撤廃のための法的制度の整備は進んだものの、現在に至るまで[[ヨーロッパ]]系移民およびその子孫が人口の大半を占め、社会的少数者の[[先住民]]や[[ユダヤ人|ユダヤ系]]移民、非[[白人]]系移民とその子孫([[アフリカ家アメリカ人|アフリカ系]]、[[ヒスパニック]]、[[アジア系アメリカ人|アジア系]]など)などの少数民族に対する人種差別問題は解消していない([[アメリカ合衆国の人種差別]])。それは就職の際の格差等から、警察官が人種の相違を理由に不公平な扱いをしたといった問題として[[ロス暴動]]のような大きな事件の原因となる事すらある。アフリカ人への[[奴隷貿易]]や先住民虐殺の国家的行為に基づく歴史的事実については、[[アメリカ合衆国連邦政府|連邦政府]]としては未だに謝罪をしていない。