「バーベキュー」の版間の差分

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== 歴史 ==
16世紀、[[クリストファー・コロンブス]]はカリブ海のある島を「ヒスパニオラ」と名付けたが、後にこの島に上陸したスペインの探検家が先住民のタイノ族が直火に当たらないよう生木で組んだプラットフォームを使って調理していたことに由来する<ref name="sato4">{{Cite book |和書 |author=佐藤政人 |title=アメリカン・スタイルBBQ |page=4 |publisher=誠文堂新光社 |year=2018}}</ref>。ただし、このような調理法が先住民が古くから行っていたものなのかアメリカ大陸に持ち込まれた調理法なのかはよくわかっていない<ref name="sato4" />。同様の調理法は1540年にミシシッピ地域を探検訪問した探検家・[[エルナンド・デ・ソト]]による[[チカソー族]]の豚肉の調理の記録にもみられるといわれている<ref name="sato4" />。
 
しかし、バーベキューが頻繁に行われるようになったのは[[バージニア植民地]]が建設されてからである<ref name="sato4" />。豚肉や牛肉はヨーロッパから新大陸に持ち込まれた<ref name="sato4" />。ノースカロライナのヴィネガーベースのソースはイギリスからの移民によってもたらされた<ref name="sato4" />。また、サウスカロライナのマスタードベースのソースはフランスやドイツからの移民によってもたらされた<ref>{{Cite book |和書 |author=佐藤政人 |title=アメリカン・スタイルBBQ |pages=4-5 |publisher=誠文堂新光社 |year=2018}}</ref>。
 
バーベキューを料理する人物のことを「ピットマスター」と言い、う。[[アメリカ合衆国の植民地時代|植民地時代]]は主にアフリカ大陸からの[[黒人奴隷]]が実際役割調理を務めていた<ref name="sato5">{{Cite book |和書 |author=佐藤政人 |title=アメリカン・スタイルBBQ |page=5 |publisher=誠文堂新光社 |year=2018}}</ref>。奴隷解放後、彼らの北上の流れとともにバーベキューの技術は北部にも広まった<ref name="sato5" />
 
== 手法 ==