「ヘルベルト・フォン・カラヤン」の版間の差分

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その[[美意識]]はオペラの配役にも及び、[[1977年]]の[[ザルツブルク音楽祭]]で『[[サロメ (オペラ)|サロメ]]』の[[タイトル・ロール]]に当時はまだ無名だった[[ヒルデガルト・ベーレンス]]を起用した際、カラヤンは<br />
''「サロメという女は20歳になっていない。従って、若くて細身の魅力ある歌手がいて初めて成立するオペラなのだ」''<br />と語った(もっとも、金融業界から転進した遅咲き歌手だったベーレンスは当時既に40歳だったが)
[[オペラ]]という総合芸術の[[音楽監督]]が容姿も考慮して歌手を決めたのはカラヤンが最初だといわれ、こうした独自の美学がカラヤンの音楽づくりには徹底されていた<ref name="ISHII">[[石井宏 (音楽評論家)|石井宏]]ほか『カラヤンとカラヤンの時代』より。[[帰徳書房]]、1979年。{{要ページ番号|date=2017年10月}}</ref>。