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「輩出」(優れたものが次々に現れること)の誤用を修正。出典として挙げられている好美清光「一橋における民法学」の11ページ目によれば、民法の後継者は「輩出しなかった」(大勢は出なかった)のではではなく一人もいない。ついでに出典の重複を修正
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{{参照方法|date=2014年11月25日 (火) 07:51 (UTC)}}
'''岩田 新'''(いわた あらた、[[1882年]] - [[1947年]])は、[[日本]]の[[法学者]]。[[民法学者]]。[[東京商科大学]](現[[一橋大学]])[[名誉教授]]。日本で初めて[[事情変更の原則]]を論じた。国際私法の[[大平善梧]]一橋大名誉教授や商法の[[吉永榮助]]一橋大名誉教授は岩田ゼミ出身。なお、民法の後継者は出していない<ref>[[皆川洸]][https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/2406/1/ronso0630200010.pdf 「大平善梧先生 : 人と学説」]一橋論叢</ref><ref name="好美">[[好美清光]][http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/11342/1/ronso0910400670.pdf 「一橋における民法学」][[一橋論叢]]</ref>。
 
== 人物・来歴 ==
[[愛知県]][[碧海郡]]知立町(現・[[知立市]])出身。[[1906年]](明治39年)[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]卒業。[[1911年]](明治44年)[[東京帝国大学]]法科大学独法科卒業。1916年(大正5年)東京帝国大学大学院([[旧制]])法学研究科修了。[[東京高等商業学校]](現[[一橋大学]])教授。1920年(大正9年)[[フランス]]・[[ドイツ]]・[[スペイン]]・[[イギリス]]・[[イタリア]]に[[文部省]]在外研究員として、研究留学( - 1922年)。[[1923年]](大正13年)東京商科大学(現一橋大学)商学部助教授。[[1925年]](大正14年)同教授。[[1934年]]、東京帝国大学[[法学博士]]。論文の題は「占有理論 」<ref>博士論文書誌データベースによる</ref>。[[1936年]](昭和11年)、[[白票事件]]で「白票組」として[[孫田秀春]]らと対立し、東京商科大学を退官<ref>[[ name="好美清光]][http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/11342/1/ronso0910400670.pdf" 「一橋における民法学」][[一橋論叢]]</ref>。同名誉教授。中央大学法学部教授。[[1946年]](昭和21年)中央大学依願退職。翌年死去<ref>以上について、「岩田新博士御略歴」『岩田先生を偲んで / 岩田博士追悼録出版事業委員会』(岩田会 , 1966年)p122</ref>。
 
== 著作 ==