「龍田神社」の版間の差分

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:* [[アメノコヤネ|天児屋根大神]]
:* 外三大神
[[延長 (元号)|延長]]5年([[927年]])成立の『[[延喜式]]』[[延喜式神名帳|神名帳]]における祭神の記載は2座。同帳では「龍田比古龍田比女神社二座」と記載され、元々の祭神は龍田比古神・龍田比女神の2柱であることが知られる。これに関して、[[龍田大社]]から天御柱命・国御柱命の2神が勧請され、元々の祭神忘れられたとする説がある{{Sfn|龍田神社(平凡社)|1981}}。『[[大和志]]』では、[[龍田大社]]([[三郷町]]立野)の本宮に対して当社を「龍田新宮」とする{{Sfn|龍田神社(平凡社)|1981}}。
 
== 歴史 ==
社伝では、[[聖徳太子]]が[[法隆寺]]の寺地を探し求めていた際、白髪の老人に化身した龍田大明神に逢い、「斑鳩の里こそが仏法興隆の地である。私はその守護神となろう」と言われたので、その地に法隆寺を建立し、鎮守社として龍田大明神を祀る神社を創建したという。
 
[[延長 (元号)|延長]]5年([[927年]])成立の『[[延喜式]]』[[延喜式神名帳|神名帳]]では[[大和国]][[平群郡]]に「龍田比古龍田比女神社二社(二座」と記載され、[[式内社]]に列している{{Sfn|龍田神社(平凡社)|1981}}。
 
[[明治維新]]後、[[神仏分離]]によって法隆寺から分離し、境内にあった寺院関連建物は全て破却された{{Sfn|龍田神社(平凡社)|1981}}。[[明治]]4年([[1871年]])には三郷町立野の龍田神社(現在の[[龍田大社]])の[[摂社]]となった{{Sfn|龍田神社(平凡社)|1981}}。[[大正]]11年([[1922年]])3月に龍田大社から独立し、[[近代社格制度]]において[[県社]]に列している{{Sfn|龍田神社(平凡社)|1981}}。
* 境内説明板
* {{Cite book|和書|editor=|author=|year=1981|chapter=龍田神社|title=[[日本歴史地名大系]] 30 奈良県の地名|publisher=[[平凡社]]|isbn=4582490301|ref={{Harvid|龍田神社(平凡社)|1981}}}}
* {{Cite book|和書|editor=式内社研究会編|author=吉川正倫|year=1982|chapter=龍田比古龍田比女神社二座|title=式内社調査報告 第2巻|publisher=[[皇學館大学]]出版部|page=|isbn=|ref={{Harvid|平群坐紀氏神社(式内社)|1982}}}}
 
== 関連項目 ==