「荘襄王」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
27行目:
[[昭襄王 (秦)|昭襄王]]の代に、[[太子]]・安国君(後の[[孝文王 (秦)|孝文王]])の子として生まれた。安国君には20人以上の子があった上に母の夏姫が安国君から気にいられなくなり、異人は[[趙 (戦国)|趙]]の人質として捨て駒のごとく出され、みずぼらしい服装をしていた。
 
それを[[邯鄲市|邯鄲]]で目にしたのが大商人であった[[呂不韋]]である。呂不韋は父に相談し「これは珍しい価値を生み出す人物だ。我々が投資すべきだ('''奇貨居くべし''')」と言い、異人と接触。彼に投資をして趙での名声を上げた上に、安国君に気にいられていた[[華陽太后|華陽夫人]]と呂不韋が接触。そのとき、呂不韋の投資で名声を聞いていた華陽夫人に対し「あなたには高齢の安国君との間に子供がおりません。安国君が亡くなった場合にあなたに子供がいない場合、あなたの立場は悪くなるでしょう。そうなる前に異人のような名声のある人物を養子にされて太子にさせれば、あなたの立場は安全でしょう」と告げた。
 
それを聞いた華陽夫人が安国君に頼み込み、華陽夫人の養子として異人をもらい受け、異人が安国君の跡継ぎに指名されることになった。その際、華陽夫人の生国である[[楚 (戦国)|楚]]にちなみ、子楚と改名した。