「ビートルズ」の版間の差分

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初期のビートルズサウンドは、アメリカのロックンロールが持つ激しさとヨーロッパのクラシカルなハーモニーが持つ美しさが融合した、新しいタイプの音楽表現だったと言える。
 
だが、ビートルズが音楽史上屈指の名声を得ることができたのは中期の「ラバーソウル」以降である。単なる「曲づくり」からを超えて、コンセプトメイキング、詩的かつメッセージ性の強い言語表現、そして何よりもスタジオでの革新的な「音づくり」まで実践したこと。それま、他すべて世界音楽ミュー常識を変え、音楽のさまざまなャンと決定的に異なるルの壁を壊して、音楽表現の無限の可能性を引き出した功績は大きい
 
 
 
デビュー当初はアイドルグループと認識される傾向が強かったが、その時期においても音楽的評価はなされていた(ウィリアム・マンが[[タイムズ]]誌で絶賛する一方、ラジオ司会者のブライアン・マシューが批判するなど賛否両論があった<ref>ザ・ビートルズ・アンソロジー 日本語版 p.96</ref>)。先輩格の同業者では、[[ジェリー・リー・ルイス]]が才能を認める発言をしており、[[ザ・ビーチ・ボーイズ]]の[[カール・ウィルソン]]は「抱きしめたい」のファンだったと述べている。ビーチ・ボーイズの[[ブライアン・ウィルソン]]はビートルズの勢力拡大に対してメンバーとミーティングを開き、市場維持のために自分達の音楽性を変化させる事を提案している<ref name="hishonnin">ワーナー・ホーム・ビデオ「ヒストリー・オブ・ロックンロール」に収録された本人のコメントより。</ref>。なお、後年リリースしたビーチ・ボーイズのアルバム『[[ペット・サウンズ]]』は、逆にビートルズの『[[サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド (アルバム)|サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド]]』に影響を与える事となった<ref>ザ・ビートルズ・アンソロジー 日本語版 p.253</ref>。後進のミュージシャンでは、[[トム・ペティ]]や[[ジャクソン・ブラウン]]が称賛と共に、ビートルズがポピュラー音楽を変容させた点を挙げており、[[U2]]の[[ボノ]]もビートルズの前衛性を評価している。他にも[[オジー・オズボーン]]、[[グラディス・ナイト]]、[[ブルース・スプリングスティーン]]など、様々なジャンルのミュージシャンがビートルズのファンだった事を打ち明けている<ref name="hishonnin"/>。1967年にリリースされた『[[サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド (アルバム)|サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド]]』の音楽的な評価は特に高く、それまでビートルズに批判的または無関心だった層にも好評を得て、ポピュラー音楽そのものを変革した作品と評された<ref group="注釈">ビデオ「{{仮リンク|ザ・コンプリート・ビートルズ|en|The Compleat Beatles}}」に収録された音楽評論家Wilfred Mellersの解説によれば、それまでのロックやポップスは踊るための音楽だったが、同作によって聴くに値する音楽になった。</ref>。リンゴは<ref>ザ・ビートルズ・アンソロジー 日本語版 p.236</ref>「1966年〜67年頃のバンドは、ほぼ全てビートルズに影響されていて、それらのプロデューサーは多かれ少なかれ自分の担当するバンドの音をビートルズに似せようとしていた」と述べている。