「ヴァイオリンソナタ (ドビュッシー)」の版間の差分

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作曲は[[第一次世界大戦]]中の[[1916年]]から[[1917年]]にかけて行われた。作曲の際、ヴァイオリンの技術面からの助言をガストン・プーレが行っている。完成の年の[[5月5日]]、[[パリ]]のサル・ガボーにおいて[[:fr:Gaston Poulet|ガストン・プーレ]]の[[ヴァイオリン]]とドビュッシー自身の[[ピアノ]]により初演されたが、これはドビュッシーが公に姿を現した最後の機会にもなった。なお初演を担当したガストン・プーレの息子[[ジェラール・プーレ]]は、父から教わった運指などを盛り込んだ校訂版を出版しており、日本では[[音楽之友社]]から出版されている。
 
== ドビュッシーとガストン・プーレ ==
ドビュッシーとガストン・プーレの出会いはドビュッシーの[[弦楽四重奏曲 (ドビュッシー)|弦楽四重奏]]がきっかけであった。プーレは当時弦楽四重奏団を率いており、1916年にドビュッシー本人に演奏を聴いてもらおうと手紙を書いた。快諾を得たプーレは作曲家の自宅で演奏し、ドビュッシーに高く評価されるようになったという。そしてヴァイオリニストと知り合ったことを契機にかねてから温められていたヴァイオリンソナタの計画がすすめられ、作曲に際して草稿をプーレに見てもらい、演奏効果などの細かな助言を求めるという関係が築かれた。こうして1917年5月5日パリのサル・ガヴォーにて、前述のようにガストン・プーレのヴァイオリン、ドビュッシー本人のピアノによって初演がなされたのである。
 
 
== 構成 ==