「郷ひろみ」の版間の差分

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* [[1984年]]2月25日リリース『[[2億4千万の瞳]]』は[[日本国有鉄道|国鉄]]のキャンペーンに使われた。[[2007年]]にはこの曲をアレンジしたものが[[BSデジタル放送]]3000万台突破記念キャンペーンソングとして用いられている。
;事務所移籍
* [[1975年]]春、ジャニーズ事務所からバーニングプロダクションへ移籍。この[[ジャニーズJr.]]6人も伴う移籍騒動でジャニー喜多川社長は体調を崩すほどショックを受けたが、この移籍はバーニングプロダクションが持ちかけたもので、郷本人の不平不満による移籍ではなく、また当時のジャニーズ事務所はまだ弱小の事務所で、業界最大手のバーニングプロダクションに対抗できるほどの権力もなかったため、ジャニーズ事務所側からの圧力は郷に対しては行われなかった。フォーリーブスの[[江木俊夫]]は著書の中で、「ジャニーズ事務所に最大の利益を与えたのは[[SMAP]]だろうが、ジャニー喜多川さんが今でも理想のアイドル像として思い描いているのは郷ひろみだろう」と述べている。
;夜のヒットスタジオ
* [[1972年]]、「[[小さな体験]]」で初出演した[[フジテレビ]]系『[[夜のヒットスタジオ]]』は、ジャニーズ事務所に当時存在していた「アイドルを夜の番組にはあまり出演させたくない」との方針から[[新御三家]]の中では出演機会が少なかったが、バーニングプロダクション移籍後は原則として月1回のペースで出演するようになる。[[1982年]]、ランキング番組出演辞退の後もトリをつとめたり、過激かつ派手な演出を用意されるなど厚遇を受けた。[[1972年]]から[[1990年]]6月27日までの総出演回数は175回。