「標準時」の版間の差分

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[[鉄道]]が敷設される以前はこれで十分に間に合っていたが、鉄道によってそれまでよりも格段に速く広範囲を移動できるようになると、頻繁に時計を合わせ直す必要が生じた。また鉄道の運行自体に与える影響も無視できなくなった。
 
この問題を解決するために、ある地域内で鉄道運行に関わる全ての時計に共通の時刻を用いるという「'''[[鉄道時間''' ([[:en:railway time|railway time]])」、後に「標準時」、の仕組みがイギリスで生まれた。この共通時刻としては、基準となる地点の[[平均太陽時]]を用いた。イギリスではロンドンの<!--の-->時間、すなわち[[グリニッジ平均時]]をこれに用いた。時刻を合わせるには、当初は時計を運んだが、後に[[グリニッジ天文台]]から電信で伝える仕組みとなった。
 
標準時の考え方を世界全体に適用すると、世界はいくつかの[[時刻帯]] (time zone) に分割される。それぞれの時刻帯は(少なくとも理論的には)15度の経度範囲をカバーする。これら各々の時刻帯内に属する時計は全て共通の時刻(標準時)に合わせられ、隣り合う時刻帯の間は1時間ずつ時刻がずれている。
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=== 北米・ニュージーランド ===
[[アメリカ合衆国|アメリカ]]と[[カナダ]]では、[[1883年]][[11月18日]]に両国の鉄道会社によって標準時刻帯による'''鉄道時間'''が導入された。当時の新聞はこの日を「2つの正午をもつ日」と書いた。このとき、政府は時刻についての立法措置や決定を特に行わなかった。鉄道会社は5つの時刻帯を単純に採用し、市民もこれに従うものと考えた。鉄道経営者の組織である[[アメリカ鉄道協会]] (American Railway Association, ARA) は、時刻を標準化することに対して一般の科学的関心が高まりつつあることに気づいていた。そこでARAは、当時存在していたそれぞれの鉄道路線の境界に合わせて不規則な境界線をもつ独自の時刻帯を考案した。これは一部には、政府によって鉄道経営に不便な時刻帯が採用されてしまうのを前もって避けるためであったと考えられる。
 
多くの人々はこの新しい時刻「鉄道時間」を単純に受け入れたが、これには法的裏付けがまったくないとして拒否する市や郡も少なくなかった。法律に規定がないと、例えば契約書の満了期限として深夜 (midnight) と書かれていた場合、この深夜はいつを意味するのかといったことが問題になる。[[アイオワ州]]の最高裁判所で審理されたある裁判では、閉店時間の違反に問われたある酒場の経営者が自分は「鉄道時間」ではなく地方(太陽)時に基づいて営業していると主張して無罪となった例があった。その後も標準時は地域の問題となっていたが、[[1918年]]に[[夏時間|サマータイム]]の導入の一部として標準時が法律で制定された。