「チェチェン・イチケリア共和国大統領」の版間の差分

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== 概要 ==
チェチェン・イチケリア共和国は、初代大統領ジョハル・ドゥダエフの一方的な[[ソ連邦]]からの[[独立]]と建国宣言により建国されたが、これを阻止しようとする[[ロシア連邦]]との間で勃発したのが[[第一次チェチェン紛争]]である。同国大統領は、[[ロシア連邦の地方区分|ロシア連邦構成主体]]の[[チェチェン共和国]]を事実上の領土として統治していたが、[[第二次チェチェン紛争|次チェチェン紛争]]中の2000年に首都としていた[[グロズヌイ]][[ロシア連邦軍]]により陥落させられ、ロシア主導のチェチェン共和国政府が擁立されたことで、それ以降は国家の統治者としての実体を失い反露武装勢力の指導者としてロシアに追われる立場になった。その結果、第二次チェチェン紛争終結までに4人の大統領がロシア当局により[[暗殺]]されている。大統領死亡時は副大統領が大統領職を継承した。
 
2007年、第5代大統領ドク・ウマロフは北カフカースの広域を支配する'''[[カフカース首長国]]'''の創設を一方的に宣言、チェチェンを北カフカースの一地方(ウィラーヤ)である「Noxçiyçö-Içkeriya」へと改称した。ウマロフは[[アミール]](首長)への就任を宣言し北カフカースに[[イスラム国家]]の建設を目指すとして数々の対ロシア[[テロリズム]]を実行している。チェチェン独立派の中には彼に従わずに穏健な独立を目指すアフメド・ザカエフのような者もおり、ザカエフは2003年から[[イギリス]]に政治[[亡命]]してチェチェン独立のための政治活動を行っている。一方ロシアはザカエフを国際指名手配しておりロシアへの引渡しを求めている。