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=== マニフェストの公開 ===
マニフェストが新聞に掲載されてから一か月の間FBIが設置したホットラインには一日に千件を超える電話があった。ユナボマーの身元特定につながる情報に100万ドルの報奨金がついていけられたことも大きめ、一日に千件を超える電話がFBI設置のホットラインに寄せられる日々が何月も続いた。ユナボマーから送られたとされる手紙もタスクフォースには大量に届き、警察は際限なく集まる容疑者の手がかりの検討に追われた。その一方で、カジンスキーの弟デイヴィッドはシカゴの私立探偵スーザン・スワンソンに依頼し、兄の行動について慎重に調査を進めていた<ref>{{cite news|last=Kovaleski|first=Serge F.|url=https://www.washingtonpost.com/archive/politics/1997/01/20/kaczynski-letters-reveal-tormented-mind/7ce02aae-dbfc-4ac1-bf2c-d19980d9acec/|title=Kaczynski Letters Reveal Tormented Mind|work=[[The Washington Post]]|date=January 20, 1997|accessdate=December 28, 2017|deadurl=no|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180115184511/https://www.washingtonpost.com/archive/politics/1997/01/20/kaczynski-letters-reveal-tormented-mind/7ce02aae-dbfc-4ac1-bf2c-d19980d9acec/|archivedate=January 15, 2018|df=mdy-all}}</ref>。ディヴィッドは後にスワンソンが集めた証拠のとりまとめと、FBIへの情報提供をワシントンD.C.の弁護士トニー・ビシェーリエに依頼している。FBIが関心を持つ可能性は薄いだろうと踏んでいたのである。彼が恐れていたのは、FBIに抵抗した{{仮リンク|ルビー・リッジ|en|Ruby Ridge}}や{{仮リンク|ウェーコ・シージ|en|Waco Siege}}のような末路を兄が迎えることで、FBIが兄と接触しようとすればそこに暴力がともないかねないと感じて、兄を守ろうとしたのだった<ref name="pain">{{cite news|accessdate=July 5, 2008|url=https://www.nytimes.com/1996/04/10/us/in-unabom-case-pain-for-suspect-s-family.html|title=In Unabom Case, Pain for Suspect's Family|work=The New York Times|first=Pam|last=Belluck|date=April 10, 1996|deadurl=no|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170810092506/http://www.nytimes.com/1996/04/10/us/in-unabom-case-pain-for-suspect-s-family.html|archivedate=August 10, 2017|df=mdy-all}}</ref>。
 
1996年初め、元FBIの人質交渉人で犯罪プロファイラーのクリントン・R・ヴァン・ザントにビシェーリエと協力関係にある捜査官が接触している。ビシェーリエは捜査官を介して、デイヴィドが兄から受け取った、手書きの手紙をタイプライターで清書した原稿とカジンスキーのマニフェストとの比較を依頼した。ヴァン・ザントの最初の分析では、書いたのが同一人物である可能性は60パーセントよりは上というところだった。マニフェストは公になって半年は経っていたということもある。ヴァン・ザントが指揮した二度目の分析チームは、その可能性はもっと高いと判断した。そのためビシェーリエは君の依頼人はすぐにでもFBIと連絡をとったほうがいいと薦められた<ref name="pain" />。
 
=== 逮捕 ===
FBIの捜査員は1996年4月3日にカジンスキーを逮捕した。小屋にいた彼は、頭がぼさぼさの姿で見つかった。小屋を調べると、貯め込まれた爆弾の部品のほか、爆弾製造の実験作業などについて手書きで40,000語あまり述しされ論文風手書き覚書日記、ユナボマーの犯罪についての解説書、それからあとは便を待つばかり送するだけの生きた爆弾も1つ見つかった。このとき『産業社会とその未来』をタイプしたオリジナルと思われる原稿も見つかっている<ref>{{cite news|url=http://edition.cnn.com/EVENTS/1996/year.in.review/topten/unabomb/unabomb.index.html|title=Unabomber suspect is caught, ending eight-year man-hunt|publisher=CNN|year=1996|accessdate=January 25, 2009|deadurl=no|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081008015428/http://edition.cnn.com/EVENTS/1996/year.in.review/topten/unabomb/unabomb.index.html|archivedate=October 8, 2008|df=mdy-all}}</ref>。この時、ユナボマーはFBIの歴史において最も捜査に予算がかかった容疑者になっていた<ref>{{cite news|url=http://edition.cnn.com/SPECIALS/1997/unabomb/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20060618112917/http://edition.cnn.com/SPECIALS/1997/unabomb/|archivedate=June 18, 2006|title=The Unabomb Trial|publisher=CNN|year=1997|accessdate=February 4, 2009}}</ref><ref>{{cite web|url=https://usatoday30.usatoday.com/news/index/una12.htm|title=FBI Profile: Suspect is educated and isolated|accessdate=2019-1|last=Howlett|first=Debbie|date=November 13, 1996|website=USA Today|publisher=|quote=The 17-year search for the bomber has been the longest and costliest investigation in FBI history.|df=mdy-all}}</ref>。
 
身柄の確保後に、カジンスキーを[[ゾディアック事件]]の犯人とする説が持ち上がった。その関連性が疑われたのは、カジンスキーが1967年から1969年までサンフランシスコ・ベイエリアに住んでいたという事実があったからであり、両者ともに高い知能を持ち、爆弾と導線に関心を持っていた。さらにどちらも、新聞社に自分の作品を掲載するように要求する手紙を送っており、それを呑まないのであれば凶行を継続するという脅しをかけていた。しかしすべての殺人事件について当時カジンスキーがどこにいたかを検証することは不可能であり、ゾディアック事件の犯人が銃とナイフを使って殺人事件を起こしていたこともカジンスキーとは違う点だった。そのため、捜査においてはそれ以上追求されることはなかった。1986年に『ゾディアック』という本を書いているロバート・グレイスミスは、類似点は「魅力的」だが純粋に偶然の一致だと述べている<ref>{{cite news|url=http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/1996/05/14/MN44704.DTL&type=printable|title=Kaczynski, Zodiac Killer – the Same Guy?|last1=Fagan|first1=Kevin|last2=Wallace|first2=Bill|date=May 14, 1996|work=San Francisco Chronicle|accessdate=December 5, 2009|deadurl=no|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110429204619/http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=%2Fc%2Fa%2F1996%2F05%2F14%2FMN44704.DTL&type=printable|archivedate=April 29, 2011|df=mdy-all}}</ref>。