「華厳宗」の版間の差分

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=== 性起説 ===
[[仏性]]についての考え方では天台宗が[[性具説]]を説き凡夫が次第に修行によって自らに十分備わっていない外来の仏性に救いとられて、目覚めさせられて行くと説くのに対し、華厳宗では[[性起説]]を説き、もともと衆生には円満な仏性が備わっているという如来蔵の考え方をとり、それが信じられず自覚しようとしないので迷うのだと考える。[[鎌田茂雄]]はこの考え方が[[道元]]の仏性観、修行観(修証一味)に影響していると指摘している。
しかし、これは、たぶんに華厳宗側から見た見方で、公正とはいえず、これからの検討が必要であろう{{要出典|date=2012年9月|title=公正とは言えない理由を示す必要がある。}}。
 
=== 華厳経の位置づけ ===
[[天台宗]]の[[教相判釈]](経典の内容を分析し、成立の順序や内容の高低を判定する)・[[五時八教]]の教判(天台大師[[智ギ|智顗]]による)では、華厳経は最初に説かれ、仏のさとったままの言葉を記したもので、[[凡夫]]には理解しがたいものとしている。
 
華厳宗では賢首大師法蔵が[[華厳五教章]]のなかで[[五教十宗判]]の教相判釈を行い、華厳経および華厳宗を最高の教え([[別教一乗]])と位置づけ、そもそも仏が悟った一乗真実は、理として頭で解する必要はなく、ただ肉体で体験すべきものだと考える。よって天台宗は、華厳宗やその影響の下に成立した禅宗(?)の立場からは、心身不可分ということが不徹底な、学問仏教であるという批判がなされる{{要出典|date=2012年9月|title=論拠を述べる必要あり}}。
 
一方天台宗側からは、この華厳宗の立場は、学問的に理で解するという方便がないと凡夫には入門しがたく、その意味で華厳宗は現実と遊離しがちな理想論だという反論がなりたつ{{要出典|date=2012年9月|title=典拠を示す必要がある}}。
 
==管長==