「珊瑚海海戦」の版間の差分

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ラバウル占領後、南洋部隊は[[ニューブリテン島]]各地を占領して航空基地を設営し、またニューギニア島東部の連合軍飛行場に空襲を行った<ref name="叢書八十180">[[#叢書80|戦史叢書80巻]]180-182頁「ラエ、サラモアの攻略と米空母の来襲」</ref>。
2月27日、大海指第59号によりナウル島とオーシャン島の攻略を命じられる<ref name="叢書八十369" />。
3月8日、南洋部隊は第六水雷戦隊(旗艦[[夕張 (軽巡洋艦)|夕張]])を主力とす攻略部隊で、ラエとサラモアを攻略・占領する<ref name="叢書八十180" />。直後の[[3月10日]]朝、空母[[レキシントン (CV-2)|レキシントン]]と[[ヨークタウン (CV-5)|ヨークタウン]]を基幹とする米軍機動部隊がラエとサラモアに航空攻撃を敢行、日本軍は所在艦船18隻中、艦船4隻沈没、中破小破14隻、戦死130名という損害を出した<ref name="叢書八十180" /><ref>[[#暁の珊瑚海(文庫)]]29頁、[[#ヨークタウン]]71-72頁</ref>。
南洋部隊は損傷艦艇修理と整備のため、ポートモレスビー攻略作戦を一ヶ月延期して5月下旬実施予定とした<ref name="叢書八十369" /><ref name="叢書八十339" />。
この攻撃による損害に不安を感じた陸軍南海支隊長[[堀井富太郎]]陸軍少将は軽空母[[祥鳳 (空母)|祥鳳]]が輸送船団護衛につくだけではアメリカ軍機動部隊出現時に対処できないと判断し、3月20日の電文で有力な日本軍機動部隊の増派を求めた<ref>[[#暁の珊瑚海(文庫)]]30-31頁</ref>。
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ポートモレスビー作戦実施にむけ準備を進める南洋部隊に対し、連合艦隊は[[ミッドウェー島]]攻略作戦を検討し、4月5日には[[軍令部]]もミッドウェー作戦の採用に至った<ref name="叢書八十339">[[#叢書80|戦史叢書80巻]]339-342頁「米空母撃滅企図―ミッドウェー作戦案」</ref><ref>[[#叢書80|戦史叢書80巻]]342-345頁「海軍部ミッドウェー作戦採用」</ref>。連合艦隊は5月上旬にポートモレスビーを攻略し、6月上旬にミッドウェーを攻略、7月上旬にFS作戦(フィジー、ニューカレドニア作戦)を実施、10月を目途にハワイ攻略作戦の準備を進めることにした<ref name="叢書八十339" />。ラエ・サラモア空襲のため南洋部隊はポートモレスビー攻略を5月下旬と予定していたが、ミッドウェー作戦のため前倒しになる<ref name="叢書八十339" />。連合艦隊と大本営海軍部は「ポートモレスビーは5月10日までに攻略する」方針を固めていた<ref>[[#叢書80|戦史叢書80巻]]346-347頁「ミッドウェー、アリューシャン作戦の追加」</ref>。
 
4月10日、連合艦隊は麾下艦隊・部隊に対し、第二段作戦第一期兵力部署への転換を命じた<ref name="叢書八十355">[[#叢書80|戦史叢書80巻]]355-358頁「聯合艦隊の兵力部署転換」</ref>。当初案では、南洋部隊に編入されポートレスビー攻略作戦に参加するのは空母[[加賀 (空母)|加賀]](当時、内地で整備中)であった<ref name="叢書八十369" /><ref name="叢書八十355" />。しかし現地指揮官から空母増勢の要求があり、連合艦隊と第四艦隊の交渉の結果<ref name="叢書八十369" />、加賀から第五航空戦隊(瑞鶴、翔鶴)に差し替えられた<ref name="叢書八十355" />。
発令された兵力部署により、南洋部隊(指揮官は井上成美第四艦隊司令長官)は第四艦隊(鹿島、第十九戦隊など)、第六戦隊(第1小隊〈青葉、加古〉、第2小隊〈衣笠、古鷹〉)、第五戦隊(妙高、羽黒)、五航戦(瑞鶴、翔鶴)、駆逐隊2(第7駆逐隊〈潮、曙、漣〉、第27駆逐隊〈時雨、白露、有明、夕暮〉)、空母[[祥鳳 (空母)|祥鳳]]([[第四航空戦隊]])、水上機母艦[[瑞穂 (水上機母艦)|瑞穂]]等となる<ref name="叢書八十355" />。このうち、第五戦隊、五航戦、第7駆逐隊・第27駆逐隊がポートモレスビー作戦にともなう増強戦力である<ref name="叢書八十369" />。
五航戦は昭和16年9月に編制されたばかりで練度も劣っていたため、実戦の経験を積ませる目的があったという<ref name="叢書八十355" />。当時、[[第五航空戦隊]](司令官[[原忠一]]少将:空母[[瑞鶴 (空母)|瑞鶴]]〈旗艦〉、[[翔鶴 (空母)|翔鶴]])は[[第一航空艦隊|南雲機動部隊]](指揮官[[南雲忠一]]第一航空艦隊司令長官)に所属して[[セイロン沖海戦]]参加、作戦を終えて日本へ帰還中だった<ref name="叢書八十355" />。