「阿部正武」の版間の差分

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{{基礎情報 武士
| 氏名 = 阿部 正武
| 時代 = [[江戸時代]]前期
| 生誕 = [[慶安]]2年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]([[1649年]][[7月24日]])
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'''阿部 正武'''(あべ まさたけ)は、[[江戸時代]]前期の[[大名]]、[[老中]]。[[武蔵国|武蔵]][[忍藩]]主。忠秋系阿部家3代。[[阿部正能]]の長男。
 
==生涯==
[[延宝]]5年([[1677年]])7月、父の[[隠居]]により[[家督]]を相続する。この時、弟[[阿部正明|正明]]に5000石、[[阿部正房|正房]]に3000石、[[阿部正員|正員]]に2000石分与し、自身は8万石を領した。延宝8年([[1680年]])閏8月に[[奏者番]]兼[[寺社奉行]]を務め、[[天和 (日本)|天和]]元年([[1681年]])3月に[[老中]]に抜擢された。正武は[[越後騒動]]における将軍[[徳川綱吉]]の親裁を補佐した功績で綱吉の信任を得る。以後、[[武家諸法度]]天和令作成、[[貨幣改鋳]]・[[湯島聖堂]]建設の総奉行、[[赤穂事件]]などを担当した。