「田尻鑑種」の版間の差分

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一方、[[島津氏]]の史料である『[[本藩人物誌]]』では、上記の和談が成立し100名余を連れて隆信と会すべく進んでいる最中に、龍造寺方の伏兵により討ち取られたとする<ref name="honpan">『[[本藩人物誌]]』 ”田尻嘉兵衛統種”の項</ref>。また、その子である喜平次も殺されかけたが、隆信の母である[[慶誾尼]]に助命され[[僧]]になり、後に[[還俗]]し[[大友氏]]に仕えて[[田尻統種|統種]]と名乗った後に[[出奔]]、[[浪人]]して[[島津義弘]]に仕えたと記述される<ref name="honpan"/>。
ただし鑑種が朝鮮役で活躍した複数の資料があるため、龍造寺方この史料討ち取られたある話の信憑性は低い。
 
== 脚注 ==
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