「張作霖爆殺事件」の版間の差分

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[[画像:Zhang zuolin.jpg|thumb|300px|爆破現場の状況、右下の残骸があるところが爆破地点]]
'''張作霖爆殺事件'''(ちょうさくりんばくさつじけん)は、[[1928年]]([[昭和]]3年、[[民国紀元|民国]]17年)[[6月4日]]、[[中華民国]]・[[奉天市|奉天]](現[[瀋陽市]])近郊で、[[日本]]の[[関東軍]]によって[[奉天派|奉天軍閥]]の指導者[[張作霖]]が[[暗殺]]された事件<ref>『日本歴史大事典』([[小学館]]、2000年)、[[成田龍一]]『大正デモクラシー シリーズ日本近現代史④』p213-214([[岩波新書]]、2007年)、[[笠原十九司]]『日中戦争全史〔上〕』p91([[高文研]]、2017年)</ref>。別名「'''奉天事件'''<ref>[http://kotobank.jp/word/%E5%A5%89%E5%A4%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6 奉天事件][[コトバンク]]</ref>」。中華民国や[[中華人民共和国]]では、事件現場の地名を採って、「'''皇姑屯事件'''」とも言う。終戦まで事件の犯人が公表されず、日本政府内では「'''満洲某重大事件'''(まんしゅうぼうじゅうだいじけん)<ref>[http://kotobank.jp/word/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E6%9F%90%E9%87%8D%E5%A4%A7%E4%BA%8B%E4%BB%B6 満州某重大事件]コトバンク</ref>」と呼ばれていた。
 
== 背景 ==