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== 逸聞 ==
潘璋の性格は粗暴勇猛であったが、禁令はよく実施した。潘璋が率いる軍は数千人に過ぎなかったが、どこでも一万の軍勢のような働きを示した。また戦いが一段落すると、軍の管理する市場を開き、他の部隊で物品の不足があれば、皆潘璋の市場で補充させた。
 
しかし、潘璋は強欲で金銭に執着するところがあり、晩年にそれが一層酷くなって、身分不相応な服装を好んだり、豊かな役人や兵士を殺害し財産を没収するなど、不法行為を何度か起こした。監察の役人がこのことを何度か上奏したが、孫権は潘璋の功績を惜しんでいつも罪を問わなかった。
 
潘璋は偏将軍となり、関羽を生け捕りにして固陵太守に任命された。孫権は潘璋にこの功績で一振りの刀を造り、「'''固陵'''」と銘打った<ref>《古今刀剣録》</ref>。
 
== 三国志演義において ==