「ギャリック・オールソン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
rv/v: LTA:NODAによるブロック逃れを差し戻し。
1行目:
{{Portal クラシック音楽}}
'''ギャリック・オールソン'''('''Garrick Ohlsson''', [[1948年]][[4月3日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[ニューヨーク]]出身の[[クラシック音楽]]の[[ピアニスト]]
ジュリアード音楽院でサッシャ・ゴロドニツキと[[ロジーナ・レヴィーン]]に師事。晩年の[[クラウディオ・アラウ]]にも師事した。
 
ジュリアード音楽院でサッシャ・ゴロドニツキと[[ロジーナ・レヴィーン]]に師事<ref>Horowitz, Joseph (1992). Conversations with Arrau. Limelight Editions. p. 333. ISBN 0879100133.</ref>。晩年の[[クラウディオ・アラウ]]にも師事した。1966年、18歳で[[ブゾーニ国際ピアノコンクール]]に優勝(2(2はベートーヴェン演奏で著名な[[リチャード・グード]])。[[1968年]][[モントリオール国際音楽コンクール]]ピアノ部門、そして1970年に第8回[[ショパン国際ピアノコンクール]]で優勝(2(2[[内田光子]]、3[[ピオトル・パレチニ]]であったマズルカ賞も受賞した。
==略歴==
ジュリアード音楽院でサッシャ・ゴロドニツキと[[ロジーナ・レヴィーン]]に師事<ref>Horowitz, Joseph (1992). Conversations with Arrau. Limelight Editions. p. 333. ISBN 0879100133.</ref>。晩年の[[クラウディオ・アラウ]]にも師事した。1966年、18歳で[[ブゾーニ国際ピアノコンクール]]に優勝(2位はベートーヴェン演奏で著名な[[リチャード・グード]])。[[1968年]][[モントリオール国際音楽コンクール]]ピアノ部門、そして1970年に第8回[[ショパン国際ピアノコンクール]]で優勝(2位は[[内田光子]]、3位は[[ピオトル・パレチニ]]であった)、マズルカ賞も受賞した。
 
バッハから後期ロマン派に至る正統的なレパートリーに加え、[[リスト]]や[[ラフマニノフ]]、[[スクリャービン]]、[[ブゾーニ]]など超絶技巧を要する楽曲、[[ショスタコーヴィチ]]や[[ヴェーベルン]]などの20世紀作品も得意としている。大柄な体格と強靭な指を生かして豪快な[[フォルティッシモ]]を轟かせるが、決して荒々しくならず、独特の柔らかみと温かみのある音色の持ち主。繊細で軽やかな弱音も特筆に値する。
 
大柄な体格と強靭な指を生かして豪快な[[フォルティッシモ]]を轟かせるが、決して荒々しくならず、独特の柔らかみと温かみのある音色の持ち主。
近年は[[ブゾーニ国際ピアノコンクール]]や[[ショパン国際ピアノコンクール]]で審査員も務めている。
繊細で軽やかな弱音も特筆に値する。
 
近年は[[ブゾーニ国際ピアノコンクール]][[ショパン国際ピアノコンクール]]で審査員も務めている。
==録音==
日本では、アメリカ人であることや録音契約がマイナーレーベルであることなどが影響してか、キャリアと実力の割に知名度が低いが、欧米では絶大な人気を誇る。[[1972年]], [[1975年]], [[1981年]], [[1988年]]に来日公演。[[2012年]]、24年ぶりに来日しNHK交響楽団とも共演した。[[2016年]]にも再来日し全国で公演し、評価を新たにした。
 
日本では、アメリカ人であることや録音契約がマイナーレーベルであることなどが影響してか、キャリアと実力の割に知名度が低いが、欧米では絶大な人気を誇る。[[1972年]], [[1975年]], [[1981年]], [[1988年]]に来日公演。[[2012年]]、24年ぶりに来日しNHK交響楽団とも共演した。[[2016年]]にも再来日し全国で公演し、評価を新たにした
レコード・CDは、ショパンコンクール優勝後に英EMIと契約しショパン(協奏曲、ポロネーズ全曲、ノクターン全曲など)を録音したのち、米マイナーレーベルのアラベスク(Arabesque)やテラーク(Telarc)、英ハイペリオン(Hyperion)と契約。独奏曲から協奏作品、室内楽、歌曲まで含めたショパンの全作品集やベートーヴェンのソナタ全集(第3集が米グラミー賞を受賞)、ウェーバーのピアノ作品集(ソナタ全曲ほか)、ブラームス(変奏曲全集)、ブゾーニ(協奏曲)、ドビュッシー(12の練習曲)、ムソルグスキー(展覧会の絵)、スクリャービン (ソナタ全曲、練習曲全曲、詩曲全曲)、ラフマニノフ(ソナタ等)、ファリャ、シマノフスキ、ガーシュウィン、グリフィスなどを録音している。
 
1972, 75, 81, 88年に来日公演。2012年、24年ぶりに来日しNHK交響楽団とも共演した。2016年にも再来日し全国で公演し、評価を新たにした。
ショパン全集では、主に[[ベーゼンドルファー]]製のピアノを使用。鍵盤のアクションが重く一般的にはショパンに不向きとされてきた同器をあえて使い、奥行きと陰影ある表現を聴かせている。近年ではニューヨーク・スタインウェイ、ハンブルク・スタインウェイ他の楽器も実演で使用している。なお、アラベスクのCDは現在入手困難だがショパン録音は全て[[ハイペリオン・レコード|ハイペリオン]]から2008年に再発売されており、こちらは入手が比較的容易である。
 
レコード・CDは、ショパンコンクール優勝後に英EMIと契約しショパン(協奏曲、ポロネーズ全曲、ノクターン全曲など)を録音したのち、米マイナーレーベルのアラベスク(Arabesque)やテラーク(Telarc)、英ハイペリオン(Hyperion)と契約。独奏曲から協奏作品、室内楽、歌曲まで含めたショパンの全作品集やベートーヴェンのソナタ全集(第3集が米グラミー賞を受賞)、ウェーバーのピアノ作品集(ソナタ全曲ほか)、ブラームス(変奏曲全集)、ブゾーニ(協奏曲)、ドビュッシー(12の練習曲)、ムソルグスキー(展覧会の絵)、スクリャービン (ソナタ全曲、練習曲全曲、詩曲全曲)、ラフマニノフ(ソナタ等)、ファリャ、シマノフスキ、ガーシュウィン、グリフィスなどを録音している。
==脚注==
ショパン全集では、主に[[ベーゼンドルファー]]製のピアノを使用。鍵盤のアクションが重く一般的にはショパンに不向きとされてきた同器をあえて使い、奥行きと陰影ある表現を聴かせている。近年ではニューヨーク・スタインウェイ、ハンブルク・スタインウェイ他の楽器も実演で使用している。なお、アラベスクのCDは現在入手困難だがショパン録音は全て[[ハイペリオン・レコード|ハイペリオン]]から2008年に再発売されており、こちらは入手が比較的容易である。
{{Reflist}}
 
なお、アラベスクのCDは現在、日本では入手困難。ただし、ショパン録音は全て[[ハイペリオン・レコード|ハイペリオン]]から2008年に再発売されており、こちらは入手が比較的容易である。
 
== 外部リンク ==
*[httpshttp://www.hyperion-recordstunepiano.co.ukcom/agarrick.asp?a=A1853htm Hyperion社Tunepiano.comによる紹介] (英語)
 
{{DEFAULTSORT:おおるそん きやりつく}}
{{Normdaten}}
[[Category:アメリカ合衆国のクラシック音楽のピアニスト]]
[[Category:ニューヨーク市出身の人物]]
[[Category:1948年生]]
[[Category:存命人物]]
{{Music-bio-stub}}
{{classic-stub}}