「ヒメタタライスズヒメ」の版間の差分

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===神武天皇との結婚===
『日本書紀』などの記述によれば、[[レヒコ]](のちの神武天皇)は、「ヒムカの国{{refnest|group="注"|[[日向国]]([[宮崎県]])に比定する説と、これを否定する説がある。}}」を出て東へ遠征し、数々の戦いを経て[[大和|ヤマト地方]]{{refnest|group="注"|一般的には[[奈良盆地]]を指す。}}に政権を確立するに至った([[神武東征]])。イレヒコは[[畝傍山]]の麓に「[[橿原宮|カシワラの宮]]」([[奈良県]][[橿原市]])を築き、初代天皇「神武天皇{{refnest|group="注"|厳密には、「神武天皇」という呼称は奈良時代に与えられた[[諡号]]である。『日本書紀』では「始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)」とする<ref name="歴代天皇紀-神武"/>。}}」として即位することになる<ref name="ブリタニカ-神武"/>。
 
この即位に先立ち、初代天皇に相応しい正妃を迎えることになり、ヒメタタライスズヒメが妻に迎えられる。『日本書紀』によれば、ヒメタタライスズヒメと神武天皇(正確には天皇としての即位前)との結婚は、即位の前年[[9月24日 (旧暦)|9月24日]](旧暦)だったとされる<ref name="新撰大人名辞典"/><ref name="女性人名辞典"/>{{refnest|group="注"|『日本書紀』では、妃探しを始めたのが即位前年の[[8月16日 (旧暦)|8月16日]](「[[庚申]]年秋[[8月 (旧暦)|八月]][[癸丑]][[朔]][[戊辰]]」)<ref name="読み解き事典"/><ref name="歴代皇后-神武"/>、ヒメタタライスズヒメを妃と決め結婚したのが[[9月24日 (旧暦)|9月24日]](「[[9月 (旧暦)|九月]][[壬午]][[朔]][[乙巳]]」)<ref name="新撰大人名辞典"/><ref name="女性人名辞典"/>である。}}。翌年正月に神武天皇は即位し、ヒメタタライスズヒメはこのときに皇后となった<ref name="新撰大人名辞典"/>{{refnest|group="注"|『日本書紀』では神武天皇の即位年を「[[辛酉]]」の年とする。中国の[[讖緯説]]・[[辛酉革命|辛酉革命説]]を考慮して明治時代に定められた計算方法に従えばこれは[[紀元前660年]]となる。かつてはこれは歴史的事実とされていたが、現代ではふつう史実とは考えられていない<ref name="歴代天皇紀-神武"/>。詳細は[[神武天皇即位紀元]]参照。}}
 
==神武天皇の妻問い説話==
神武天皇は即位に先立ち、初代天皇に相応しい正妃を迎えることになった。このとき、ヒムカ国からイレヒコ(神武天皇)に付き従ってきた家臣である[[大久米命]]が、后候補として推挙したのがイスケヨリヒメ(ヒメタタライスズヒメ)だった<ref name="読み解き事典"/><ref name="学研2015"/>。『古事記』では、大久米命がイスケヨリヒメの出生の逸話について神武天皇に説明し、「神の御子」であるイスケヨリヒメこそ正后に値すると説く<ref name="ヒメたち94"/><ref name="学研2015"/>。
 
『古事記』には、7人の女性が[[狭井川]]の岸辺にいるところを神武天皇と大久米命が目撃し、その中から后を選んだという逸話が掲載されている<ref name="神道大辞典"/>。この際、神武天皇と大久米命、イスケヨリヒメとのあいだで歌を交わすやりとりは、神武天皇の「妻問い説話」としてよく知られている<ref name="平凡地名-狭井河"/><ref name="ヒメたち98"/>。
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