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[[File:2018 S耐 86.jpg|150px|thumb|2018 S耐 86]]
[[File:2018ニュル24H.jpg|150px|thumb|2018 ニュル24H]]
 
 
 
[[東京都]][[世田谷区]]生まれ。父親(レンタルカートコース「シティカート 東京都足立区」を経営)がアマチュアレーシングドライバーだったこともあり、幼少期から[[レーシングカート|カート]]に親しんだ。5歳のときにレオンキッズレーシングスクールではじめてカートを体験。6歳から[[キッズカート]]レースに参戦を始めた。その後、東日本ジュニアカートレース等で頭角をあらわし、2005年には[[日本自動車連盟|JAF]]ジュニアカート選手権と[[ARTA|ARTAチャレンジ]] カートレースシリーズでダブルタイトルを獲得。翌2006年はARTAチャレンジのスカラシップでイタリア選手権(Italian Open Master)の国際レースに遠征。同年全日本カート選手権ICAクラスにも[[ヤマハ発動機|ヤマハ]]のスカラシップでスポット参戦(全6戦中3戦に出場)し、シリーズランキング7位となった。
 
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2009年は引き続きFCJに参戦し、優勝こそできなかったが2位表彰台4回、3位表彰台2回、レース中のファーステストラップも2回記録し、シリーズ4位となった。またこの年はFCJ参戦の傍ら、スーパーFJ[[筑波サーキット|筑波]]シリーズに出場し、全6戦中4勝をあげシリーズチャンピオンとなった。
 
2010年も[[トヨタ自動車|トヨタ]]のサポートを受けて3年目のFCJに参戦した。この年で結果が出なければ先がないところだったが、全戦[[ポールポジション]]、開幕5連勝、全12戦中10勝と記録ずくめの結果を残し、8戦目終了時点で早くもシリーズチャンピオンを決めてしまった。また、この年のFCJは、初めて鈴鹿[[F1グランプリ]]の前座レースとしてスケジュールが組まれ、そこでも大観衆の前で[[ポールトゥーウィン]]を飾っている。この年の活躍が認められ、10月にワールドシリーズバイルノー3.5(WSR3.5)のルーキーテスト([[スペイン]] Motorland Aragon)に、11月には[[フォーミュラ・ニッポン]]のルーキーテスト([[富士スピードウェイ]])に招待参加した。これと平行して[[Formula フォーミュラ・BMW|フォーミュラ・BMW Pacificパシフィック]]の最終3レースにスポット参戦。初めての国際レース、初めてのマシンにもかかわらず[[岡山国際サーキット]]での第13戦ではポールポジションを獲得。レースでも1位で[[レース旗#チェッカーフラッグ|チェッカー]]を受けたが、レース後の再車検でメカニカルな不備を指摘され失格となった。翌日の第14戦では3位表彰台を獲得した。第15戦の[[マカオ]]は予選中にクラッシュを喫し、24番グリッドからスタートし21位で完走した。また、この年の活躍が認められ鈴鹿サーキットライジングアワード4輪を受賞した。
 
2011年は、トムススピリットから[[全日本F3選手権]]Nクラスに参戦。F3初年度にもかかわらず優勝3回、2位5回、3位1回という成績で最終戦までチャンピオン争いを繰り広げたが、不運もありシリーズランキング3位という結果になった。