「維新の三傑」の版間の差分
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大久保利通の命日は[[1878年]][[5月14日]]で、[[東京都|東京]]の[[紀尾井坂の変]]にて倒れた。[[明治]]10年前後に時期を同じくして死去している。
3人の死後間もない1878年11月には既に、
[[1884年]]3月刊、[[山脇之人]]『維新元勲十傑論』には、「西郷隆盛君の如きは木戸、大久保の二君と相並びて一時は'''明治の三傑'''とも称せられ……」<ref>『維新元勲十傑論』、16頁</ref>の記載があり、[[1892年]]11月刊の[[内山正如]]編『維新元勲三傑詩文集』では西郷・木戸・大久保
一方、[[獲鹿野史]]『薩長幕三傑伝』([[1900年]]12月、上田屋書店。[[1909年]]2月、盛林堂より『明治三傑伝』として再刊)が三傑を「西郷・[[大村益次郎]]・[[勝海舟]]」としたような異説もあった<ref>これを取り上げた[[宮武外骨]]は双方に、「依怙の選定」「偏見の一つ」と辛辣な評を与えている(宮武外骨『明治奇聞』(河出文庫、[[1997年]])、101〜2頁)</ref>。また前述の『維新元勲十傑論』は、「十傑」として三傑に続けて、[[江藤新平]]・[[横井小楠]]・大村益次郎・[[小松清廉|小松帯刀]]・[[前原一誠]]・[[広沢真臣]]・[[岩倉具視]]を挙げている。
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