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'''フェルナンド・オカリス・ブラーニャ''' (Fernando Ocáriz Braña, [[1944年]][[10月27日]] - )は、[[フランス]]・[[パリ]]生まれのスペイン人のカトリック[[司祭]]および[[オプス・デイ]]の第3代属人区長であり、神学者でもある。[[聖座]]のいくつかの評議会の顧問を勤めている
 
==来歴==
フェルナンド・オカリス・ブラーニャは1944年10月27日に誕生。[[スペイン人]]の両親を持ち、出生地は家族で[[スペイン内戦]]中に亡命していた地、[[フランス]]首都[[パリ]]であった。父はホセ・オカリス・ゴメス、母はマリア・ドロレス・ブラーニャ。8人兄弟の末っ子であった<ref>{{Cite news|title=フェルナンド・オカリスの生涯|url=https://opusdei.org/ja-jp/article/fernando-ocariz-shogai/|accessdate=2018-07-01|language=ja}}</ref>。[[バルセロナ大学]]で[[物理学]]を専攻し、1966年に卒業した。
 
[[神学]]を学んでいた1960年代、オプス・デイ創立者の[[ホセマリア・エスクリバー]]とともに[[イタリア]][[ローマ]]で暮らした。
 
1969年には[[教皇庁立大学|教皇庁立]]ラテラン大学より神学の学位を、1971年には[[ナバーラ大学]]より神学の[[博士号]]が与えられ、同年[[司祭]]に[[叙階]]された。司祭生活を開始した当初は、特に青年や大学生の[[司牧]]に従事した。
 
1986年からは教理省の顧問を務め、[[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ラツィンガー]]枢機卿(のちに[[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|教皇ベネディクト16世]]となった)のもとで働いた。2003年には聖職者省、2011年には新福音化推進評議会の顧問も歴任。
 
1980年代には[[ローマ]]にある[[教皇庁立聖十字架大学]]の[[基礎神学]]の[[専任教授]](現在は[[名誉教授]])となり、大学設立に関わったメンバーの中の1人であった。
 
1994年4月23日に[[オプス・デイ]]の総代理となり、2014年には[[属人区]]の補佐代理に任命される。
 
2016年12月、当時の属人区長[[ハビエル・エチェバリーア・ロドリゲス]]の死去<ref>{{Cite news|title=オプス・デイ属人区長ハビエル・エチェバリーアの帰天|url=https://opusdei.org/ja-jp/article/javier-echevarria-kiten/|accessdate=2018-07-01|language=ja}}</ref>により、次期属人区長が決定するまでの間、代理として[[属人区]]の統治を引き継いだ<ref>{{Cite news|title=次のオプス・デイ属人区長の選挙総会は1月23日から始まります|url=https://opusdei.org/ja-jp/article/tsugino-opusudei-zokujinkucho/|accessdate=2018-07-01|language=ja}}</ref>。2017年1月23日に開始した属人区長選挙総会の中で新属人区長に選出され、同日[[フランシスコ (ローマ教皇)|教皇フランシスコ]]はその結果を認証し、オカリス師を属人区長に任命した<ref>{{Cite news|title=教皇フランシスコ、オプス・デイ属人区長にフェルナンド・オカリス神父を任命|url=https://opusdei.org/ja-jp/article/fernando-ocariz-shinzokujinkuchoi/|accessdate=2018-07-01|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://opusdei.org/ja-jp/video/zokujinkucho-senshutsu-2017/|title=オプス・デイ属人区長選出の記録|accessdate=2018-07-01|website=opusdei.org|language=ja}}</ref>。