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大浜港(大浜湊)は古くから栄え、[[江戸時代]]には[[沼津藩]]の[[陣屋]]も置かれていた。鷲塚も港町であり、江戸時代初期に[[矢作川]]が流入するようになると、運ばれてきた砂により[[浅瀬]]となり、[[新田開発]]によって伏見屋新田および前浜新田が形成された。
 
[[廃藩置県]]以前、[[大浜町 (愛知県)|大浜村]]、[[棚尾町|棚尾村]]、平七村、[[鷲塚村]]は[[沼津藩]](5万石)([[江戸開城]]後は[[菊間藩]]に転封)の領地であり、[[西端村]]は[[西端藩]]の[[西端陣屋]](1万石)の領地、前浜新田は[[天領]]であった。
* [[1605年]]([[慶長]]10年) 米津の開削により矢作川が現在の流路に変わる。
* [[1803年]]([[享和]]3年) [[6月7日]]([[旧暦]][[4月18日]]) [[伊能忠敬]]らの測量隊が鷲塚村・棚尾村などを測量し、大浜村に滞在する。