「ムーサ」の版間の差分

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当初は特定の分野が割り当てられず、音楽・詩作・言語活動一般を司る知の女神たちであったようだが、古典期を通じて[[ローマ時代]]の後期には各ムーサがつかさどる学芸の分野が定められ、現在広く知られる形が出来上がった。またツェツェース(Tzetzes, およそ1110年 - 1180年)による著作では'''カリコレ''' (Kallichore)、'''ヘリケ''' (ヘリケー、Helike)、'''エウニケ''' (エウニーケー、Eunike)、'''テルクシノエ''' (テルクシノエー、Thelxinoe)、'''テルプシコラ''' (テルプシコラー、Terpsichore)、'''エウテルペ''' (エウテルペー、Euterpe)、'''エウケラデ''' (Eukelade)、'''ディア''' (ディーア、Dia)、'''エノペ''' (Enope)といった9柱のムーサが述べられている。
 
神話には、[[タミュリス]]、[[セイレーン]]たちやピーエリスたちなどが、ムーサたちと歌比べの勝負を挑んだが敗北した神話が残っている。
 
== 文化への影響 ==