「横溝正史」の版間の差分

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[[画像:Yokomizo-seitan3479.JPG|thumb|240px|生誕碑]]
'''横溝 正史'''(よこみぞ せいし、[[1902年]]([[明治]]35年)[[5月24日]] - [[1981年]]([[昭和]]56年)[[12月28日]])は、[[日本]]の[[小説家]]、[[推理小説家]]である。本名は同字で「よこみぞ まさし」。当初は筆名も同じ読みであったが、誤読した小説家仲間にヨコセイと渾名されているうちに、セイシをそのまま筆名とした<ref>{{Cite web|date=2011-07-11|url=http://hon.bunshun.jp/articles/-/604|title=昭和随一の流行作家は超遅咲き 横溝正史|publisher=本の話WEB|accessdate=2016-06-12}}</ref>。[[兵庫県]][[神戸市]]東川崎(現在の[[中央区 (神戸市)|中央区]]、[[神戸ハーバーランド]]界隈)生まれ<ref name="dokuhon">『横溝正史読本』(小林信彦・編、[[角川文庫]]、2008年改版) 「年譜」参照。</ref>。
 
[[金田一耕助]]を探偵役とする一連の[[探偵小説]]で有名。また、[[薬剤師]]免許を持っていた。
[[1921年]]、雑誌『[[新青年 (日本)|新青年]]』の懸賞に応募した『[[恐ろしき四月馬鹿]]([[エイプリル・フール]])』が入選作となる。これが処女作とみなされている。
 
[[1924年]]、[[大阪薬学専門学校 (旧制)|大阪薬学専門学校]]([[大阪大学]]薬学部の前身校)卒業後、一旦薬剤師として実家の[[生薬]]屋「春秋堂」に従事していたが、[[1926年]]に[[江戸川乱歩]]の招きに応じて上京、[[博文館]]に入社する。[[1927年]]に『新青年』の編集長に就任、その後も『[[文芸倶楽部]]』、『探偵小説』等の編集長を務めながら創作や翻訳活動を継続したが、[[1932年]]に同誌が廃刊となったことにより同社を退社し、専業小説家となる。
 
[[1934年]]([[昭和]]9年)7月、[[肺結核]]の悪化により、[[長野県]][[八ヶ岳]]山麓の[[富士見高原病院|富士見高原療養所]]での療養生活を余儀なくされ、執筆もままならない状態が続く。1日あたり3 - 4枚というペースで書き進めた渾身の1作『[[鬼火 (横溝正史)|鬼火]]』も当局の検閲により一部削除を命じられる。また、戦時中は探偵小説の発表自体が制限されたことにより、時代劇(捕物帳シリーズ)等の執筆に重点を移さざるを得ないなど、不遇な時代が続いた。[[太平洋戦争]]の開戦前後(1941年6~12月)には横溝唯一の長編家庭小説とされる『雪割草』を地方紙(新潟毎日新聞、途中から新潟日日新聞に変更)に連載したことが2017年末に明らかになっている<ref>[http://www.sankei.com/life/news/171221/lif1712210029-n1.html 横溝正史、幻の長編小説「雪割草」見つかる…金田一耕助の“モデル”も登場]『産経新聞』朝刊2017年12月22日</ref>。推理小説家としての活動が制限されたため経済的にも困窮し、一時は本人も死を覚悟するほど病状が悪化したが、終戦後、治療薬[[ストレプトマイシン]]の急激な値崩れにより快方に向かう。
 
[[1945年]](昭和20年)4月より3年間、[[岡山県]][[吉備郡]][[真備町]]岡田(現・[[倉敷市]]真備町)に[[疎開]]。[[第二次世界大戦]]終戦後、推理小説が自由に発表できるようになると本領を発揮し、本格推理小説を続々と発表する。[[1948年]]、『[[本陣殺人事件]]』により第1回探偵小説家クラブ賞(後の[[日本推理作家協会賞]])長編賞を受賞。同作はデビュー後25年目、長編としても8作目にあたるが、自選ベストテンとされるものも含め、代表作と呼ばれるものはほとんどこれ以降(特にこの後数年間)に発表されており、同一ジャンルで書き続けてきた小説家としては異例の遅咲き現象である。やや地味なベテランから一挙に乱歩に替わる日本探偵小説界のエース的存在となった。
 
人気が高まる中、骨太な本格探偵小説以外にも、やや通俗性の強い長編も多く執筆。4誌同時連載を抱えるほどの売れっぷりだったが、1960年代に入り[[松本清張]]などによる[[社会派推理小説|社会派ミステリー]]が台頭すると執筆量は急速に減っていった<ref group="注">清張と正史のお互いに対する考えは、[[松本清張#推理作家]] 横溝正史の項を参照。</ref>。[[1964年]]に『蝙蝠男』を発表後、探偵小説の執筆を停止し<ref name="dokuhon" />、一時は数点の再版や『[[人形佐七捕物帳]]』のみが書店に残る存在となっていた。
近年復刊した[[小林信彦]]の『横溝正史読本』でも触れているように、横溝は雑誌『[[新青年 (日本)|新青年]]』の編集長であった。月刊誌であり、文芸誌でもあった『新青年』はこの時期の文壇を含めた文化人(たとえば[[茂田井武]]も『新青年』へ寄稿している)とクロス・オーバーする存在であり、横溝はその中心人物の1人でもあった。
 
戦前派小説家の唯一の現役生き残りであった(しかも晩年に突如空前のブームを迎えた)こともあり、困窮し病に伏した往年の小説家仲間に援助したり、再刊の口利きをしつこく頼んでくる遺族に辛抱強く応対したりする様子も、公刊日記に控えめに記されている。
 
昭和モダニストのたしなみ程度であるが[[クラシック音楽]]を好んだ。一般に土俗的な舞台が多いとされる横溝作品の中にも、『[[悪魔が来りて笛を吹く]]』『[[仮面舞踏会 (横溝正史)|仮面舞踏会]]』『[[蝶々殺人事件]]』『[[迷路荘の惨劇]]』など、クラシック音楽がらみの長編も複数ある。その影響か、長男の[[横溝亮一]]は[[東京新聞]]記者を経て[[音楽評論家]]として重きをなしている。急逝直前のバス歌手・[[大橋国一]]との対談(新版全集収録)は亮一がセットした。
 
== 解説 ==
[[金田一耕助]]が登場する作品は、長短編あわせて77作(中絶作品・[[ジュブナイル]]作品等を除く)が確認されている。探偵・金田一耕助は主に[[東京都|東京]]周辺を舞台とする事件と、作者の疎開先であった[[岡山県|岡山]]など地方を舞台にした事件で活躍した(岡山県以外では、作者が戦前に転地療養生活を送り、戦後は別荘を所有していた長野県や、静岡県の事件が多い)。前者には戦後都会の退廃や倒錯的な性、後者には田舎の因習や血縁の因縁を軸としたものが多い。一般的には後者の作品群の方が評価が高いようである(前者は倶楽部雑誌と呼ばれる大衆誌に連載されたものが多く、発表誌の性格上どうしても扇情性が強調されがちである)。外見的には怪奇色が強いが、骨格としてはすべて論理とトリックを重んじた本格推理で、一部作品で装飾的に用いられるケースを除いて超常現象やオカルティズムは排されている。このような特徴は、彼が敬愛する小説家[[ジョン・ディクスン・カー]]の影響であるとのこと。また、薬剤師出身であるにもかかわらず、理化学的トリックは意外に少なく、毒殺の比率は高いものの薬名があっさり記述される程度である。
 
一旦発表した作品を改稿して発表するケースも多かった。通常このような原型作品は忘れられるものであるが、『金田一耕助』シリーズについてはそれらの発掘・刊行も進んでおり、人気の高さが窺える。創作した探偵役は他に、由利麟太郎と三津木俊助、捕物帖には[[人形佐七捕物帳|人形佐七]]、お役者文七を主役とするシリーズがある。
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