「伊東塚」の版間の差分

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→‎概略: 石碑追記
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すべて供養塔であるため、その下に遺体は存在しない。彼らの首級は木崎原古戦場跡([[宮崎県]][[えびの市]])の傍にある[[首塚]]にまとめて葬られている。唯一、米良筑後守のみ[[須木城]]下の米良家菩提寺である一麟寺(現在は廃寺)に、首級が返されそこへ弔われている。
 
[[慶安]]3年([[1650年]])、[[島津氏]]家臣・[[五代友喜|五代勝左衛門]]の子孫により、これらの霊を慰めるために[[五輪塔]]が建立されている<ref name=":0">{{Cite web|title=伊東塚(いとうづか) - 小林市ポータルサイト|url=http://cms.city.kobayashi.lg.jp/display.php?cont=131206163314|website=cms.city.kobayashi.lg.jp|accessdate=2019-02-13|publisher=小林市}}</ref>
 
[[文化 (曖昧さ回避)|文化]]14年([[1817年]])、小林[[地頭]]市田長門守源義宣は石碑を建て「後の今を視る、今の昔を視るにひとし云々」の碑文を彫った<ref name=":0" />。
 
供養塔の区画の周囲は普通の一般人の墓が並び、一見すると供養塔があるようには見えない。