「門戸開放通牒」の版間の差分

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しかし、翌[[1900年]]に中国で民衆による排外運動である[[義和団の乱]]が勃発する。列強がこれを鎮圧するために派兵を図る中、同年7月3日、アメリカは第二次の通牒を発した。ここでは経済的な機会均等に加え、列強が政治的に中国を分割することに対しての反対(領土保全)が強調されている。中国へ市場進出を果たすためには、中国においてなんらかの一国が強い勢力を有することは望ましくない。そのため、この通牒を通じて中国大陸における[[勢力均衡]]を図る狙いもあった。しかしロシアは、[[チチハル]](8月26日)、[[長春]]9月21日)、[[吉林]](9月23日)、[[遼陽]](9月26日)、[[瀋陽]](10月1日)を占領し、[[満州]]全体を支配下に置いた<ref>渡辺惣樹『日米衝突の萌芽』草思社、255-259</ref>。
 
== 脚注 ==
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==関連項目==