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音楽評論家の三橋一夫、ギター・バンジョー教室の講師であった灰田勝彦、そして憧れのピート・シーガーとの交流の中で、目標に向かってまっすぐ歩いていった。
 
初期の頃は自らも詩作したが、次第に[[山之口貘]]、[[金子光晴]]、[[草野心平]]、[[石原吉郎]]らの[[現代詩]]や、[[添田唖蝉坊]]や[[添田知道]]の明治演歌をもとにした歌詞をフォークやブルーズに載せて歌った。「大・ダイジェスト盤 三億円強奪事件の唄」や「自衛隊に入ろう」「東京フォークゲリラの諸君達を語る」「事だよ」など、時事の話題を辛辣に滑稽に取り上げ、皮肉たっぷりの作風は大いに客を惹きつけもした。
 
吃音であり、幼少期は声が自然に出てこなかったが、歌を歌うことにより克服した。また少年期からいくつかの持病があり、病院に通っていた。「人間は、なにかコンプレックスがあると、ほかの方法でそれを乗り越えようとする。その方法というのが僕にとっては歌だったのかもしれない」という<ref>高田渡『バーボン・ストリート・ブルース』([[ちくま文庫]])。</ref>。