「高田渡」の版間の差分

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===2000年代===
 
[[2000年]]、友部正人プロデュースの詩の朗読のアルバム「no media1」に、「'''今日はとても良い日だ'''」で参加。
 
[[2001年]]、『'''日本に来た外国詩…。'''』リリース。佐久間順平のプロデュースで、海外の詩人に曲をつけた歌を新たに録音している。佐藤GWAN博のアルバム「星空」に参加。唯一のエッセイ本「'''バーボン・ストリート・ブルース'''」を著す。
 
[[2004年]]、高田渡の日常とライヴ映像を撮影したドキュメント映画『'''タカダワタル的'''』が発表され注目を集める。「'''高田渡トリビュート'''」に自ら一曲だけ参加。このときの「'''調査節'''」が最後の録音となる。
 
[[2005年]][[4月3日]]、[[北海道]][[白糠町]]でのライブ後に倒れ、隣の[[釧路市]]内の[[病院]]に[[入院]]。[[4月16日|同月16日]]午前1時22分、入院先の病院で[[心不全]]により死去した。{{没年齢|1949|1|1|2005|4|16}}。死の直前に病院でカトリックの[[洗礼]]を受けていた。洗礼名は[[パウロ]]。葬儀ミサはカトリック吉祥寺教会で執り行われた。葬儀委員長は[[筑紫哲也]]が務めた。小金井公会堂で開かれた「高田渡を送る会」では、多くのミュージシャンや俳優やアーティストが、ひとりずつ壇上に上がり歌を歌ったり思い出を語った。出演者は、[[シバ]]、[[柄本明]]、[[高田漣]]、[[笑福亭鶴瓶]]、[[加川良]]、[[なぎら健壱]]、[[坂崎幸之助]]、[[中山ラビ]]、[[井上陽水]]、[[遠藤賢司]]、[[山崎ハコ]]、[[中川五郎]]、[[シーナ&ザ・ロケッツ|シーナ&ロケッツ]]、[[杉田二郎]]、[[みなみらんぼう]]、[[スズキコージ]]ほか多数。
 
[[2006年]]、「'''高田渡 高田漣 27/03/03'''」がリリース。
 
[[2008年]]、『'''タカダワタル的'''』に続くドキュメント映画『'''タカダワタル的ゼロ'''』が公開。2001年の大晦日にザ・スズナリで行われた泉谷しげるとのライブ映像が中心。長い音楽人生の中で丁寧に残していたライブ録音を、アルバム「'''高田渡、旅の記録 上巻'''」としてリリース。
 
[[2009年]]、「'''高田渡、旅の記録 下巻'''」がリリース。
 
[[2012年]]、「'''ゴールデン☆ベスト'''」が発売され、コアなファンでないリスナーにも高田渡の歌が届きやすくなった。
 
[[2015年]]、息子の高田漣が、高田渡のベスト盤「'''イキテル・ソング〜オールタイム・ベスト〜'''」と、自らのカバー盤「'''コーヒーブルース〜高田渡を歌う'''」をリリース。
 
[[2016年]]、[[赤城乳業]]の主力製品「[[ガリガリ君]]」が25年ぶりに値上げすることを受けて、お詫びのTV-CMが作られ、高田の「'''値上げ'''」がCMソングに起用された。放映期間は2日間のみではあったが、情報番組や[[ニューヨークタイムズ]]などでもこのCMが取り上げられ話題となった<ref>{{Cite web|url=https://www.nytimes.com/2016/05/19/business/international/japan-economy-deflation-prices.html|title=In Japan’s Slow Economy, Rare Price Rise Prompts Surplus of Remorse|publisher=[[ニューヨークタイムズ|New York Times]]|accessdate=2018-05-29|date=2016-05-18|author=Jonathan Soble}}</ref><ref>{{cite web|url=https://natalie.mu/music/news/182003|title=高田渡の名曲が「ガリガリ君」値上げ謝罪CMソングに|publisher=ナタリー|accessdate=2018-05-29|date=2016年4月1日}}</ref>。
 
== ディスコグラフィ ==