「ニザーミー」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
読み方をギャンジェヴィーではなく、ギャンジャヴィーにしました。こちらの読みの方が圧倒的に主流だからです。宜しくお願いします。 |
|||
2行目:
[[画像:Nizami Rug Crop.jpg|thumb|right|200 px|ニザーミー]]
'''ニザーミー・ギャンジ
本名は、ジャラールッディーン・アブー・ムハンマド・'''イルヤース・イブン・ユースフ'''(Jalāl al-Dīn Abū Muḥammad Ilyās Ibn Yūsuf)。現在の[[アゼルバイジャン]]の[[ギャンジャ]]で生まれる。父親は現在の[[イラン]]の[[コム (都市)|コム]]の出身とも伝えられ、母親ライーサは[[クルド人]]であったという。生涯に三人の妻を娶り、ダルヴァンドの王より下賜されたキプチャク出身の女奴隷でアーファークという女性を妻として迎え、これを熱愛したことがのちの作品群に大いに影響を与えたという。ムハンマドという男児を儲けたことが作品中に語られている。ニザーミーの生地ギャンジャをはじめとするアッラーン、アーザルバーイジャーン地方は、[[セルジューク朝]]系の[[アタベク]]政権[[イルデニズ朝]]の支配下に有ったが、ニザーミーはタブリーズのイルデニズ朝などの各地の宮廷に詩を献呈したものの、生涯、生地のギャンジャを愛して離れずこれらの宮廷に仕えることは無かったという。
|