「西川周作」の版間の差分

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[[2005年]]からは[[大分トリニータ]]のトップチームに昇格。当初は[[岡中勇人]]と[[江角浩司]]の控えだったが、[[2005 FIFAワールドユース選手権|ワールドユース]]から帰国直後の[[7月12日]]・[[横浜F・マリノス]]戦で初先発を果たすと、以降1試合を除いて全試合に出場。高卒1年目から正GKの座を奪取した。
 
[[2006年]]、前年引退した岡中より背番号'''1'''を引き継いだ。開幕時よりスタメン出場を続けていたが、[[11月18日]]の[[ヴァンフォーレ甲府]]戦で、左ひざ靭帯損傷で全治3ヶ月の重傷を負い、残りのシーズンを棒に振る。翌[[2007年]][[3月10日]]の[[ジュビロ磐田]]戦で復帰したが、その後も細かい負傷での離脱やベテランの[[下川誠吾]]の存在もあり、リーグ戦ではキャリア最少<!--2018年8月時点-->の11試合出場に留まった。平均失点数は4点
 
[[2008年]][[7月20日]]の磐田戦の後半44分にボールをグラウンドに叩きつけて審判の判定に異議を示したことでイエローカードを受けたが、同日、自身のブログにて「わざとイエローカードをもらいました」と、五輪代表で不在となる翌節に累積警告を消化する意図で故意に反則を犯したことを示唆する文章を公開した<ref name = "jcast080722">{{Cite web|url=http://www.j-cast.com/2008/07/22023887.html?p=all|title=「わざとイエローカード」西川選手 「プロの戦略としてアリ」という声|work=J-CASTニュース|date=2008-07-22|accessdate=2018-08-06}}</ref>。公開直後から批判が殺到し、20分後には問題個所が削除された<ref name = "jcast080722"/>。翌日ブログで謝罪し、クラブから厳重注意とブログの無期限禁止の処分を受けた<ref name = "jcast080722"/>。五輪後の[[9月13日]]に行われた[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]戦で負傷し以後全試合を欠場した。