「国務会議 (イングランド)」の版間の差分

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解消済み仮リンク 統治章典,第一議会,第二議会,謙虚な請願と勧告 の内部リンク化
→‎第1期(1649年 - 1653年): 解消済み仮リンク ニューモデル軍 の内部リンク化
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イングランド共和国成立直後の[[1649年]][[2月14日]]、[[ランプ議会 (イングランド内戦)|ランプ議会]]の付属機関として設立された。構想自体は1649年以前からあったらしく、[[1647年]]に[[ヘンリー・アイアトン]]と[[ジョン・ランバート]]が起草した『[[建議要目]]』に王政を制限する機関として名前が挙がっている<ref name="松村172">松村、P172。</ref><ref>松村、P320、清水、P115。</ref>。
 
メンバーは41人で議会から31人、{{仮リンク|[[ニューモデル軍|en|New Model Army}}]]から10人選出されたグループで構成され、任期は1年で、議会から行政の多くを委ねられ処理した。議長はニューモデル軍副司令官(後に司令官)[[オリバー・クロムウェル]]が選出、[[1651年]]と[[1652年]]にも連続当選している。[[トマス・ハリソン (兵士)|トマス・ハリソン]]と[[チャールズ・フリートウッド]]など軍幹部、それもクロムウェルの側近が取り立てられたが、[[ジェントリ]]と議員経験者も国務会議に選出され、無能な人間が多いランプ議会と違い有能で改革意欲に溢れた人材が揃い、仕事ぶりと清廉な態度を当時の外国人から讃えられている。また、委員ではないがクロムウェルの秘書{{仮リンク|ジョン・サーロー|en|John Thurloe}}が情報収集と外交アドバイザーを担当、彼のスタッフも同様の役割を担うことで国務会議は内政だけでなく外交も担当することになった<ref name="松村172"></ref><ref>今井、P144 - P145、田村、P163、P235 - P236、松村、P257、P315、清水、P151 - P155。</ref>。
 
しかし国務会議が行ったことは1649年3月に逮捕した{{仮リンク|平等派|en|Levellers}}の指導者{{仮リンク|ジョン・リルバーン|en|John Lilburne}}らの審問、1652年5月から始まった[[第一次英蘭戦争]]の審議と[[フランス王国|フランス]]の[[ユグノー]]([[プロテスタント]])支援ぐらいで、肝心の議会が自己保身しか考えていないため軍の怒りを買い、[[1653年]][[4月20日]]にクロムウェルとハリソンが行った[[クーデター]]で議会は解散、国務会議も消滅した<ref>今井、P147、P184 - P185、田村、P236 - P237、P244、清水、P160、P198 - P200。</ref>。