「栗田氏」の版間の差分

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* [[天文 (元号)|天文]]22年([[1553年]])、宗家の[[村上義清]]が[[武田信玄]]に敗れて[[越後国|越後]]に逃れると[[栗田永寿 (初代)|栗田永寿]](初代)は武田方に下る。そして武田方に属する60騎の足軽大将となっている。
 
* [[弘治 (日本)|弘治]]元年([[1555年]])、第二次[[川中島の戦い]]で栗田氏は武田方について[[旭山城]]にこもり、武田の増援兵3000人と弓800張、鉄砲300を得て[[横山城 (信濃国)|横山城]]の上杉謙信を牽制した。このため上杉方も[[葛山城 (信濃国)|葛山城]]を築いて対抗したとされる。今川義元の仲介で和睦した後、[[栗田寛久]]は[[善光寺]]本尊を持ち出し、[[甲斐善光寺]]へ移った。そのため栗田城は破却された。
 
[[江戸時代]]には、[[庄内藩]]、[[水戸藩]]、[[松本藩]]とそれぞれに仕えた。
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