「片岡仁左衛門 (13代目)」の版間の差分

編集の要約なし
 
戸籍上は十一代目仁左衛門の子だが、実父は[[安田善三郎]]{{要出典|date=2013年2月}}<!--である([[オノ・ヨーコ]]の叔父にあたる)-->。[[安田財閥]]の金が恒常的に流れてきたため、少なくとも[[財閥解体]]まではまったくお金に不自由しなかった。温厚篤実な性格で屈折したところがなく、高貴な役どころがぴたりとはまった。由良助役者としても知られたが、七段目では、豪遊ぶりがいかにも自然で、卑屈な部分を見せることがなかった。
 
また、大の[[鉄道ファン]]であり、[[鉄道友の会]]会員としても知られ、鉄道各社の新型車両デビューや新路線開業などの数々の記念イベントのテープカットに来賓として頻繁に招待されるなど、鉄道関係者や鉄道ファンからも慕われた。1964年10月1日の東海道新幹線開業日には、新大阪駅発東京駅行の一番列車「ひかり2号」に乗車した実績もある。
 
== 略歴 ==
妻は講釈師・[[一龍斎貞山#5代目|錦城斎典山]]の娘で、[[花柳壽楽 (2代目)|2代目花柳壽楽]]は義兄にあたる。
 
戦前からの[[鉄道ファン|鉄道愛好家]]としても有名で、[[鉄道友の会]]の理事や名誉会長も勤め、[[ブルーリボン賞 (鉄道)|ブルーリボン賞]]叙与式、[[大阪市電]]最終運転日など関西での鉄道関係のセレモニーには来賓としてしばしば顔を出した。ただし、[[新幹線]]のような超高速列車には批判的で、「新幹線ができてから、旅に風情がなくなった」と嘆いていたが、それでも1964年10月1日の東海道新幹線開業日には、新大阪駅発東京駅行の一番列車「ひかり2号」に乗車し、車内で各マスコミから取材を受けた実績もある。<!--古典芸能界の鉄道愛好家として、長唄の[[杵屋栄二]]と並び称される存在だった。-->
 
学究肌で文才もあり、著書多数がある。芸談や歌舞伎関係の貴重な資料も多く残した。
匿名利用者