「パノルムスの戦い」の版間の差分

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== 序幕 ==
[[紀元前252年]]の終わりから[[紀元前251年]]の始めにかけて、カルタゴはリビア人の反乱を鎮圧し、[[大ハンノ]]の息子であるハスドルバルをシチリアに送った。ハスドルバルはカルタゴが勝利した[[チュニスの戦い]]に参加しており、そこで[[スパルタ]]人の[[傭兵]]であるクサンティッポス([[:en:Xanthippus of Carthage|en]])から多くを学んでいた。[[ポリュビオス]]によると、ハスドルバルはおよそ2年間に渡りリルバイウム(現在の[[マルサーラ]])や[[セリヌス]](現在のマリネラ・ディ・セリヌンテ)といったシチリアの西側地域で活動したが、優勢なローマ軍と衝突することはなかった。しかしながら、ルキウス・カエキリウス・メテッルスのローマ軍が食物収穫のためにパノルムス(紀元前254年からローマの施政下にあった)周辺に集結しつつあることを知り、これを攻撃することとした。もう一人の執政官はその軍団とともにローマに戻りつつあったためローマ軍の兵力は減っており、この判断は妥当なものと言えた。ハスドルバルはその軍と[[戦象]]を率い、オレタス渓谷を通ってパノムルスに向かった。
 
== 戦闘 ==