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第21期(1980年度)[[王位戦 (将棋)|王位戦]]でリーグ入り。
 
初参加から4期目のC級2組[[順位戦]](第39期、1980年度)で、7勝3敗の成績ながら前期の好成績による高順位が活き、3位でC級1組へ昇級<ref>当期は、同様の理由で[[鈴木輝彦]]も7勝3敗の成績でありながら32位でC級1組へ昇級を決めた。3敗でのC級1組昇級は珍しく、鈴木及び伊藤を最後に出ていない。</ref>。また、第12回(1981年度)[[新人王戦 (将棋)|新人王戦]]で準優勝(優勝は[[田中寅彦]])。さらには、本戦出場者が50人となってから初めての[[NHK杯テレビ将棋トーナメント|NHK杯戦]](第31回、1981年度)で準優勝(優勝は[[加藤一二三]])。これらの活躍の原動力<ref name="ss2000"/>となったのが、[[穴熊囲い|居飛車穴熊]]への対策として<ref name="ss2000"/>自ら考案した「'''[[風車 (将棋)|風車]]'''」'''戦法'''であった。相手の攻めに備えることに特化した戦法である。
 
第8期(1995年度)[[竜王戦]]2組で[[屋敷伸之]]・[[森けい二|森&#38622;二]]に勝って[[先崎学]]に敗れた後、昇級者決定戦決勝に回り、[[森内俊之]]に勝って2組3位で'''1組昇級'''。次期(1996年度)は初戦で[[米長邦雄]]に勝ち、1組残留。第10期(1997年度)は残留決定戦で[[羽生善治]]に敗れ、2組降級。