「アレクサンドル・アレヒン」の版間の差分

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[[1935年]]に格下と見られていた[[マックス・エーワ]]に敗北、失冠した。敗因は準備不足と過度の飲酒習慣にあったとされる。断酒して臨んだ2年後のリターンマッチでは雪辱を果たし、再びチャンピオンとなった。
 
第二次大戦中には[[ナチス・ドイツ]]政権占領の[[フランス]]で行なわれた競技会に参加、その対独協力者と見なされた。そのため戦後は主な競技会に招待されず、移住先の[[ポルトガル]]を中心に小規模な大会とマッチに出場した。[[1946年]]にチャンピオンのままポルトガルの[[エストリル]]で死去。
 
アレヒンの死後、エーワ、[[ミハイル・ボトヴィニク]]、[[サミュエル・ハーマン・レシェフスキー]]、[[パウリ・ケレス]]、[[ワシリー・スミスロフ]]の5人で[[チェス]]の新チャンピオン決定戦が行われ、この決定戦に優勝したボトヴィニクが新チャンピオンとなった。