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[[画像:Aerotrainsaran2.jpg|サムネイル|250px|[[:fr:Voie d'essai de l'aérotrain d'Orléans|実験線跡]]]]
 
'''アエロトラン'''(仏:Aérotrain)'''{{lang-fr-short|Aérotrain}}''')は[[フランス]]で[[1965年]]から[[1977年]]にかけて開発が進められた'''[[空気浮上式鉄道]]'''である。
 
アエロトランの目標は[[磁気浮上式鉄道]]の目指すところと似ている。ただし、[[圧縮空気]]の静圧で浮上して走行するため、[[磁気浮上]]と比べて技術的に容易である。推進にはプロペラ推進やジェット推進や[[リニアモーター]]推進等が用いられる。車輪の摩擦力に頼らず加減速するので高速走行が可能である。一方で、空気圧で浮上するため、トンネル内での走行には不適である。[[サラン (ロワレ県)|サラン]]、[[ルーアン]]間に全長18[[キロメートル|km]]の[[:fr:Voie d'essai de l'aérotrain d'Orléans|オルレアン実験線]]が建設され01, 02, S44, I-80, I-80 HV と5台の試作車が製造され、I-80は80人乗りの実物大で18kmの軌道を走行した。しかし、送風機による騒音等、技術上の問題が多いため、高速鉄道としての実用化には至らなかった。
 
== 経緯 ==
* [[1963年]] - フランス人技術者ジャン・ベルタン ([[:fr:Jean Bertin (ingénieur)|Jean Bertin]]) が縮尺1/12、1.4[[メートル|m]]の長さの模型を一般と[[フランス国鉄]]へ展示。
* [[1965年]][[4月15日]] -アエロトラン開発会社 (Société d'étude de l'Aérotrain)を設立。
* 1965年12月16日 - 最初の試作車である「アエロトラン01」が完成。
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* [[1974年]] - 政府は[[オルリー]]と[[シャルル・ド・ゴール国際空港]]間の路線と[[ラ・デファンス]]と[[セルジー]]間の路線建設計画を放棄した。
* [[1974年]]3月5日 - アエロトランI80 HVは空気浮上式鉄道としては最速の{{val|430.4|u=km/h}}の記録を樹立。
* [[1974年]]6月21日 - [[ラ・デファンス]][[セルジー]]間の商業路線に関する契約に調印された。
* [[1974年]]7月17日 - 政府は[[ラ・デファンス]][[セルジー]]間の計画を放棄。
* [[1974年]] - ローインダストリーズのUTACV試験機がプエブロ近郊の[[運輸技術センター]]で試験を開始した。
* [[1975年]]9月 - パリとリヨン間にTGVの路線を建設されることが発表された。
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* [[1991年]]7月17日 - Gometzの格納庫内に保管されていたアエロトランS44が火災で焼失。
* [[1992年]]3月22日 - アエロトランI80 HVとChevillyの格納庫が火災で焼失。除去作業の後、プラットホームのみが残る。
* [[2004年]]7月 - Gometz試験線でのアエロトランの貢献を記念して彫刻家ジョルジュ・ソルテール ([[:fr:Georges Saulterre]]) による彫刻が設置された。
* [[2007年]]2月 - Chevillyのプラットホームの北にある120mの区間の軌道がA19高速道路の建設により取り壊された。
 
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* 開発してみるとアエロトランの輸送容量は大幅に低かった。
* 1973年の第一次[[オイルショック]]の後、アエロトラン I80の使用する内燃機関による推進は費用がかかりすぎたのでリニアモータによる推進が必要だった。これは通常の車輪を使用するTGVよりも大幅に高価だった。
* 鉄道の世界では、ロトレインで使用される技術には全く不慣れだった。
 
=== アエロトランの利点 ===
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{{main|トラックト・ホバークラフト}}
 
[[イギリス|英国]]でも''トラックトホバークラフト''や''ホバートレイン''と称する、類似の空気浮上式鉄道が開発された。アエロトランとは異なり[[リニア誘導モーター]]で推進する形式だった。民間の技術的な問題により中断された[http://groups.google.com/group/uk.railway/msg/6bd290a20a58fbaa]。1960年代初頭に[[ホバークラフト]]を開発した[[クリストファー・コッカレル]]の開発陣がホバートレインの初期の概念を考案した。1963年に跨座式モノレールのようにコンクリート製の軌道に跨る形式の空気浮上式鉄道の実験機を製造した。この試作機は試験線上を手で押されて移動した。
 
その後、この開発陣は1961年ごろにリニア誘導モーターとして知られるようになった[[リニアモーター]]を推進に採用した。試験機が走行中だった1963年に彼らはリニア誘導モーターを使用した実物大の試験機の開発を売り込んでいた。ナローボディーの旅客機の胴体のような外観の試験模型が断面が凸型のモノレールの軌道上を走行した。水平面は走行用に平らで垂直面はリニア誘導モーターのリアクションレールが設置されていた。
 
1970年にロンドンの北部に試験線の建設が始まった。この場所が選ばれたのは平坦で20マイルの軌道が計画されたが予算は最初の4マイルの区間のみだった。建設費の高騰により1マイルの区間に短縮された。試験機のRVT 31は1973年に試験を開始し、2月には20mphの向かい風の中で104mphに到達した。