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=== ロングレール ===
一方、定尺レール(工場出荷時の標準で25 m)を[[溶接]]して繋いだレールもある。このうち、全長200 m以上のレールを'''ロングレール'''という。継ぎ目を減らすことで保守作業の省力化や、騒音・振動対策で乗り心地の向上が目指せる{{sfn|天野ら|1984|p=22}}。2014年(平成26年)には[[新日鐵住金]][[八幡製鉄所]]が長さ150 mのレールを出荷する体制を整えており、溶接する労力の低減やロングレール化した際の[[精度]]の向上を目指す動きも見られる<ref>{{Cite press release|title=世界最長となる鉄道用 150m 150mレールの製造・出荷体制を整備|publisher=新日鐵住金|date=2014-04-16|url=http://www.nssmc.com/news/20140416_100.html}}</ref>。
 
ロングレールの中央部('''不動区間''')は[[枕木]]に固く締結し、枕木の周囲に[[バラスト軌道|バラスト]]を十分に敷き詰めることで気温変化によるレール方向の伸縮は抑え込まれており、常にレール内部には[[応力]]('''[[断面力#軸力|軸力]]''')が発生している{{sfn|西亀ら|1980|p=147}}。しかし、端部('''可動区間''')は、温度変化により定尺レールよりも大きく伸縮するため、通常の突合せ継目ではなく、'''伸縮継目'''が用いられる{{sfn|西亀ら|1980|p=147,149}}。枕木への締結力や枕木の周囲に敷き詰められたバラストの量、レール温度の管理などが十分でないと、[[猛暑]]時のレールがぐにゃりと曲がる事故([[座屈]])や、[[極寒]]時の収縮によりレールが[[破断]]する事故が発生することもある。これらは前述のロングレールの不動区間が温度変化によりレール方向に伸縮する軸力に耐えきれなくなった時に発生する
枕木への締結力や枕木の周囲に敷き詰められたバラストの量、レール温度の管理などが十分でないと、[[猛暑]]時のレールがぐにゃりと曲がる事故([[座屈]])や、[[極寒]]時の収縮によりレールが[[破断]]する事故が発生することもある。これらは前述のロングレールの不動区間が温度変化によりレール方向に伸縮する軸力に耐えきれなくなった時に発生する。
 
ロングレール区間では、初期の頃は伸縮継手を[[軌道回路]]の区分前後に設置し、通常のレール間を絶縁継目でつないで軌道回路を絶縁分割するが、1970年に強力な接着剤をレールと継目板の間に接着して、レールの軸力と列車衝撃強度に耐えるとともに、電気絶縁性能を十分に持たせた'''接着絶縁レール'''を用いて軌道回路を絶縁分割する方式が採用されている。この方式には、最初の頃は湿式法が使用されていたが、1年未満で接着部が剥離する損傷が発生したため、1984年に[[エポキシ樹脂]]をプレート状に予備成型した固定接着剤をレールと継目板の間に圧着して加熱する乾式法が現在において使用されている。最近ではレールのボルト穴の空隙部に接着剤を充填して、レールと継目板の間の接着層内にテフロンシートを介在させることで、継目板からの接着剤の剥離と継目板の腐食を防止するともに、電気絶縁性能を更に上げた改良形の乾式法が使用されつつある<ref>{{Cite journal|format=pdf|url=http://bunken.rtri.or.jp/PDF/cdroms1/0004/2011/0004005484.pdf|title=接着絶縁レールの継目構造とその製造方法|journal=RRR|work=鉄道総研パテントシリーズ (136) |pages=38-39|year=2011|month=8|publisher=[[鉄道総合技術研究所]]|accessdate=2017-11-6}}</ref>。この方式では、レールのウィークポイントである絶縁継目が無くなりかつ、軌道回路ごとに絶縁付き伸縮継手を挿入する必要がなくなるのが採用するメリットである。
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[[1767年]]、コールブルックデールの[[製鉄所]]技師、[[リチャード・レイノルズ]]は、生産量が増加して余剰気味になってきた鋳鉄の使い道として、[[トロッコ]]に使う目的のレールの生産を開始し、この時にレールに[[フランジ]]が取り付けられた。レールの両側につばが取り付けられて、車輪の脱落を防ぐ仕組みとなっていた。しかしレールと車輪がきしみあってうまく走れず、また雨水や落ち葉などが溝に溜まるという問題があった。
 
[[1776年]]、[[ベンジャミン・カー]]がこの欠点を解消するために片方のつばを取り除いた、L字形のレールを発明した。これにより車両の走行は格段に容易となった。
 
=== フランジ付きの車輪 ===
[[1789年]]、土木技師の[[ウィリアム・ジェソップ]]は、車輪側にフランジを取り付けて、レールの上面は平らにする方式を発明した。魚腹形と呼ばれる下側が膨れたレールを使用している。これにより大幅に脱線の確率が減少し、安定的に鉄道輸送を行うことが可能になった。このためジェソップは「鉄道軌道の父」と呼ばれている。
 
依然として鋳鉄によって製造されていたレールの折損が問題となっており、[[1803年]]にニクソンが[[錬鉄]]のレールを発明したが、技術面、コスト面の問題から使用されなかった。
 
=== 蒸気機関車の登場 ===
それまでは鉱山における資材輸送用のトロッコに用いられていただけであったレールは、[[蒸気機関車]]が登場することによって近代的な[[公共交通機関|交通機関]]の一翼を担うことになった。初期には、平らなレールの上を鉄製の車輪を持った[[機関車]]で牽引しようとすると車輪が[[空転]]すると考えられており、[[1812年]]に[[ジョン・ブレンキンソップ]]によって[[ラック式鉄道|ラックレール]]が考案されたが、実験の結果、よほどの急勾配でない限りラックは不要であることが判明した。
 
初めての[[実用]]的な蒸気機関車を利用した鉄道である、[[リバプール・アンド・マンチェスター鉄道]]は、[[1830年]]に鋳鉄製のレールを使用して開業した。このため磨耗によりレールは頻繁に交換する必要があった。
 
=== 様々なレールの発明 ===
[[1831年]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ロバート・スティーブンス (技術者)|ロバート・スティーブンス]]が平底の現在用いられているのと同じようなレールを発明した。これは[[犬釘]]を用いることで簡単に[[枕木]]に固定することができるという長所があり、世界中に普及して現在のレールの原形となった。
 
[[1837年]]、イギリスの[[ジョセフ・ロック]]が双頭レールを発明した{{sfn|片岡|2012|p=28}}。レールを[[チェア]]と[[くさび]]によって固定するもので、レールが上下が同じ形をしているためひっくり返すことでどちらも走行用に使用することができるというものであった{{sfn|片岡|2012|p=28}}。しかし、チェアと底部の接触箇所で摩耗が生じ、ひっくり返しても円滑な走行面が得られなかった{{sfn|片岡|2012|p=28}}。
 
=== 鋼鉄製レール ===
[[1856年]]、イギリスの[[ヘンリー・ベッセマー]]が[[転炉]]に空気を吹き込むことで鉄から[[炭素]]分を除去して[[鋼鉄]]を生産する方法を発明した。同年シーメンス兄弟が[[平炉]]を発明し、さらに[[1864年]]、[[フランス]]の[[ピエール・マルタン]]が改良して工業化に成功し、シーメンス・マルタン法による鋼鉄の生産が可能となった。[[1877年]]、イギリスの[[シドニー・トーマス]]が[[ベッセマー製鋼法]]を改良して[[リン]]を取り除くことができるようになった。これらの鋼鉄の生産に関する技術進歩を受けて、鋼鉄製のレールが一般に普及していった。
 
最初に鋼鉄製のレールが使用されたのは、イギリスの[[ミッドランド鉄道]]の[[ダービー (イギリス)|ダービー地区]]で、ベッセマー製鋼法が発明されたすぐ翌年の[[1857年]]のことであった。それまで3ヶ月ごとに交換を必要としていた区間で、16年間交換なしに使用することができたとの記録がある。
 
現在のレールはスティーブンスの平底レールを鋼鉄を用いて作っているもので、材質や重量の増大などの点での進歩はあるが、基本的には19世紀に完成された技術で成り立っている。
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== 日本での歴史 ==
=== 輸入 ===
日本初の[[日本の鉄道開業|営業用鉄道の開業]]は[[1872年]]([[明治]]5年)のことであるが、最初に使われたのは、[[イギリス]] DARLINGTON IRON 社の1870年製の'''双頭レール'''である。双頭レールとは、レール底部の平らな部分がなく、上下とも走行用に使用可能なI字形の形状をしていた。
 
日本では[[1927年]][[昭和]]2年)頃まで、[[イギリス]]、[[ドイツ]]、[[アメリカ合衆国]]などから[[輸入]]したレールを使用していたが、国内生産品でまかなえるようになったことから、レールの輸入は原則として終焉を迎えた。
 
ただし[[路面電車]]用の特殊形状のレール('''みぞレール'''、'''[[脱線防止ガード|護輪]]みぞレール'''など)は、わずかではあるが後年まで輸入品が使用された。近年になって、保守の軽減性から溝レール類が再輸入され、[[富山ライトレール]]、[[土佐電気鉄道]]、[[熊本市交通局]]の[[路面電車]]などで使用されている。
 
=== 国産化 ===
[[1901年]](明治34年)の官営[[八幡製鐵所]]の開所に伴い、日本国内でもレールの[[圧延]]が開始された{{sfn|佐伯ら|2013|p=19-20}}。1901年の生産はわずか1,086[[トン]]とされている{{sfn|佐伯ら|2013|p=20}}。[[1926年]]([[大正]]15/昭和元年)頃までは生産が追い付かず輸入品と併用されたが、この頃より生産体制が整い、レールの国産化が完了した。八幡製鐵所では、[[富士製鐵]]との合併により[[新日本製鐵]](新日鉄)となりさらに[[住友金属工業]](住金)との合併により[[新日鐵住金]]となった現在でも、八幡地区でレールの生産が行なわれている。
 
[[1952年]](昭和27年)からは、富士製鐵[[新日本製鐵釜石製鐵所|釜石製鐵所]]でもレールの生産が開始された。[[1970年]](昭和45年)の[[八幡製鐵]]と富士製鐵の[[合併 (企業)|合併]]の際、日本国内のレール生産が合併後の新日本製鐵1社のみとなり、[[私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律|独占禁止法]]に抵触する可能性が高くなったため、この釜石の設備を[[日本鋼管]][[JFEスチール西日本製鉄所|福山製鉄所]]に売却、移設を行った。日本鋼管は[[2003年]][[平成]]15年)に[[川崎製鉄]]と合併し、[[JFEスチール]]と名前を変えたが、現在もレールの生産を行っている。
 
以後、現在にいたるまで、レールのほとんどが国産品でまかなわれている。また、日本で製造されたレールは海外にも[[輸出]]され、高い評価を得ている。
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=== 論文 ===
* {{Cite journal|和書|author=西野保行・小西純一・淵上龍雄|year=|date=1982|title=日本における鉄道用レールの変遷 -残存する現物の確認による追跡-|url=https://wwwdoi.jstageorg/10.jst.go.jp/article11532/journalhs1981/.2/0/2_0_30/_pdf.30 |journal=日本土木史研究発表会論文集|volume=2|page=|pages=30-37|publisher=土木学会|format=PDF|ref={{sfnRef|西野ら|1982}}}}
* {{Cite journal|和書|author=小瀬豊|year=1991|title=レールの寿命と腐食疲労|url=https://wwwdoi.jstageorg/10.jst.go.jp/article11338/mls1989/.3/2/3_2_90/_pdf.90 |journal=マテリアルライフ|volume=3|issue=2|page=|pages=90-95|publisher=マテリアルライフ学会|format=PDF|ref={{sfnRef|小瀬|1991}}}}
* {{Cite journal|和書|author=片岡宏夫|year=2007|title=鉄道レールの設計思想と材料要求特性|url=https://wwwdoi.jstageorg/10.jst.go.jp/article2207/jjws/.76/6/76_6_458/_pdf.458 |journal=溶接学会誌|volume=76|issue=6|page=|pages=24-27|publisher=溶接学会|format=PDF|ref={{sfnRef|片岡|2007}}}}
* {{Cite journal|和書|author=片岡宏夫|year=2012|title=レールの断面形状と材質|url=http://bunken.rtri.or.jp/PDF/cdroms1/0004/2012/0004005599.pdf|journal=RRR|volume=69|issue=4|page=|pages=28-31|publisher=鉄道総合技術研究所|format=PDF|ref={{sfnRef|片岡|2012}}}}
* {{Cite journal|和書|author=小代文彦・三井良裕|year=2012|title=塩害腐食レールの損傷管理について|url=http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00035/2012/67-06/67-06-0493.pdf|journal=土木学会第67回年次学術講演会|volume=|page=|pages=985-986|publisher=土木学会|format=PDF|ref={{sfnRef|小代ら|2012}}}}