「安帝 (漢)」の版間の差分

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== 治世 ==
摂政をしていた鄧兄妹は他の[[外戚]]に比べて良質であり、妹のは[[班昭]]に私淑して経書の講義を受けたりした人物であった。兄の鄧騭も1万戸の領地を受けた後で更に3千戸の加増を申し渡されたときに固辞して受け取らなかったという。鄧氏の摂政時代には[[匈奴]]の進入や天災が相次ぎ、決して平和な時代ではなかったが、鄧氏は節約に励んで懸命に政治に当たったという。ただし官僚との連絡役として宦官を重用したことが、後に宦官の専横を許すこととなったといわれる。鄧氏の粛清の後は、宦官と閻氏一門が専権を振るうことになる。
 
安帝の時代には[[西域都護]]が匈奴により攻撃され、西域は匈奴の手に落ちた。他にも西の[[羌]]族など周辺民族が相次いで反乱を起こすなど、後漢の衰退が明らかになってきた。