「君島永胤」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2019年2月28日 (木) 02:00 (UTC)|ソートキー=人1638年没}}
{{基礎情報 武士
| 氏名 = 君島永胤
[[君島高胤]]の嫡男として誕生。
 
父・高胤が[[慶長]]2年([[1597年]])6月15日に没すると家督を継ぎ船生城主となるが、その4ヵ月後の同年10月13日主君・[[宇都宮国綱]]が改易されると、自身も流浪の身となり、その年に生まれたばかりの国綱の次男・[[宇都宮則綱|則綱]]に、川上通正(あるいは川上通茂)と共に従い那須の地<ref>現・[[那須烏山市]]興野。</ref>に移り住んだ。
 
しかし、則綱13歳の若さで没すると、那須の地を離れ、塩原邑茗荷里<ref>現・[[那須塩原市]]。</ref>に移り住み、茗荷君島氏の祖となる。
 
[[寛永]]15年([[1638年]])8月23日、死去。