「日本統治時代の南樺太の鉄道」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルアプリ編集 Androidアプリ編集
タグ: モバイル編集 モバイルアプリ編集 Androidアプリ編集
20行目:
[[1943年]](昭和18年)には樺太も内地編入され、鉄道も樺太庁から[[鉄道省]]に移管<ref>[{{NDLDC|2961368/26}} 勅令第351号] 官報 昭和18年3月31日</ref>、[[樺太鉄道局]]が設けられた。
 
[[1945年]](昭和20年)の米英ソによる[[ヤルタ会談]]により、[[ソビエト連邦|ソ連]]は[[ナチス・ドイツ|ドイツ]]降伏の3ヶ月後[[日ソ中立条約]]を破棄して対日参戦し、[[樺太#南樺太|南樺太]]はソ連が獲得することで合意された。これに基づき、日本の敗戦直前に[[ソビエト連邦軍|ソ連軍]]が進撃を開始して、1945年(昭和20年)8月中には樺太全土が[[占領]]され、鉄道も[[接収]]された。日本による鉄道の運行は停止し、[[8月24日]]を最後に[[鉄道連絡船]][[稚泊連絡船|稚泊航路]]の運航も途絶えた。翌[[1946年]](昭和21年)[[2月1日]]付で樺太鉄道局廃止され、同時に南樺太のすべてのにおける鉄道省の全路線が日本の法規書類正式に廃止された。
 
== 路線及び航路 ==