「黒田斉隆」の版間の差分
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{{基礎情報 武士
| 氏名 = 黒田
| 画像 = KurodaNaritaka.jpg
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[[天明]]2年([[1782年]])12月19日、福岡藩主・[[黒田治高]]の[[末期養子]]として5歳で福岡藩黒田家の家督を相続する。のちに実兄の家斉から[[偏諱]]を授かり、[[諱]]を'''斉隆'''とした。
父の[[徳川治済|治済]]は将軍実父として、幕府内において隠然たる大きな影響力を持っており、先代の[[黒田治高|治高]]が死去前に養子として指名していた
天明3年([[1783年]])、福岡藩領内に重臣
寛政2年([[1790年]])10月15日、13歳で従四位下・侍従・筑前守に叙任する。
寛政5年、領地福岡に入る。翌年、領内を巡見し、領民の暮らしぶりを見て周り、顕彰をした。
斉隆の治世中には、黒田家の先祖を祀る事跡があった。天明3年(1783年)に第3代藩主・[[黒田光之]]に廃された[[黒田綱之]]を祀る[[幹亮権現社]]を創立し、同年にはまた初代長政を祀る[[黒崎大明神]]を再興した。また、藩祖・[[黒田孝高]]の父、[[黒田職隆]]の墓所が[[播磨国|播磨]][[姫路市|姫路]]にて発見され、二百回忌の法要、および墓所の築造が当地にて行われた。
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{{DEFAULTSORT:くろた なりたか}}
[[Category:福岡藩主|なりたか]]
[[Category:福岡黒田
[[Category:一橋徳川家]]
[[Category:御三卿家中の人物]]
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