「神戸大空襲」の版間の差分
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== 敗戦後の状況 ==
激しい空襲の戦災によりほとんどの機能が停止状態となったため、1945年[[11月1日]]「神戸市復興本部」が設置され、中井市長自らが本部長に就任。復興に関する重要事項を企画審議するための諮問機関として「神戸市復興委員会」が設けられ、元神戸市長の[[勝田元]]や当時大阪鉄道局長であった[[佐藤栄作]]ら、多方面からあらゆる分野の人材が招聘された。[[2月30日]]には[[日本政府]]の「[[戦災地復興計画基本方針]]」の閣議決定を受けて、翌[[1946年]][[3月14日]]、「神戸市復興基本計画要綱」が制定され、罹災地域の戦災復興計画と、「大神戸」構想が示された。そこでは神戸市の性格を「国際的貿易都市」とし、これに商工業都市、文化都市、観光都市の性格を併有させるとされ現在の神戸市の礎となった<ref name="soumu"></ref>。
[[File:神戸空襲の跡.jpg|thumb| JR三ノ宮駅に現在も残存する神戸空襲で、B29から発射された弾丸の跡]]
== 神戸大空襲が登場する作品 ==
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