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明治37年([[1904年]])2月10日からの[[日露戦争]]では、旗艦「[[三笠 (戦艦)|三笠]]」に座乗して[[ロシア海軍]][[太平洋艦隊 (ロシア海軍)|太平洋艦隊]](後に第一太平洋艦隊へ改称)の基地である旅順港の攻撃([[旅順口攻撃]]・[[旅順港閉塞作戦]])や[[黄海海戦 (日露戦争)|黄海海戦]]をはじめとする海軍の作戦全般を指揮する。旅順封鎖作戦時の[[機雷|触雷]]による[[戦艦「初瀬」と「八島」の撃沈|戦艦「初瀬」「八島」の喪失]]を報告されても周章狼狽せずに両艦の艦長を労い<ref>神川武利『秋山真之 伝説の名参謀』([[PHP文庫]])</ref>、海軍内の動揺を収めた。6月6日には大将に昇進している。
 
そして明治38年([[1905年]])[[5月27日]]に、[[ヨーロッパ]]から極東へ向けて回航してきた[[ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー|ロジェストヴェンスキー]]提督率いるロシアの[[バルチック艦隊]](ロシア第二・第三太平洋艦隊、[[旗艦]]「[[クニャージ・スヴォーロフ]]」)を迎撃する。この[[日本海海戦]]に際し、「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊はただちに出動これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し」{{Efn|[[秋山真之]]参謀が起草。}}との一報を[[大本営]]に打電した。また、艦隊に対し、「[[皇国]]の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」と[[Z旗]]を掲げて全軍の士気を鼓舞した(''[[#東郷の肉声]]も参照'')。東郷は敵前で大回頭を行うという大胆な指示を出し、海戦に勝利を納めた。この回頭は「[[東郷ターン|トウゴウ・ターン]]」と称された。
 
この海戦における勝利は、当時[[帝政ロシア|ロシア]]の圧力に苦しんでいた[[オスマン帝国]]においても自国の勝利のように喜ばれ、東郷は同国の国民的英雄となった<ref name=manabi>『ニュータイプ中学歴史資料 学び考える歴』[[浜島書店]]</ref>。