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[[ファイル:Amanohashidate view from Kasamatsu Park01s3s4410.jpg|thumb|right|北側(傘松公園)からの眺望 - 斜め一文字]]
{{Location map | Japan Kyoto
| lat_deg = 35 | lat_min = 34 | lat_sec = 09.69 | lat_dir = N
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| alt = 天橋立は京都府北部にある
}}
[[ファイル:Sesshu - View of Ama-no-Hashidate.jpg|thumb|right|雪舟筆「天橋立図」([[京都国立博物館]]蔵、[[国宝]]) 東側より - 雪舟観]]
'''天橋立'''(あまのはしだて)は、[[京都府]][[宮津市]]の[[宮津湾]]と[[内海]]の[[阿蘇海]]を南北に隔てる全長3.6[[キロメートル]]の湾口[[砂州]]{{sfn|浅井建爾|2001|pp=130-131}}。[[日本三景]]の一つであり<ref>{{Kotobank|日本三景|2=[[ブリタニカ国際大百科事典]] 小項目事典}}(2015年4月12日閲覧。)</ref><ref>{{cite web|publisher=日本三景観光連絡協議会|url=http://nihonsankei.jp/|title=日本三景 公式サイト|accessdate=2015-04-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150412121308/http://nihonsankei.jp/|archivedate=2015-04-12}}</ref><ref>{{cite web|publisher=丹後広域振興局建設部丹後土木事務所|url=http://www.pref.kyoto.jp/tango/tango-doboku/hashitate.html|title=日本三景天橋立|work=京都府ホームページ|accessdate=2015-04-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150412121401/http://www.pref.kyoto.jp/tango/tango-doboku/hashitate.html|archivedate=2015-04-12}}</ref>、[[2013年]]の観光入込客数は1,781,900人と[[京都市]]を除いた京都府内の観光地で第1位である<ref name="ktp">{{cite web|date=2014-09|publisher=府観光課地域観光担当|url=https://www.pref.saga.lg.jp/web/var/rev0/0149/7637/honbun.pdf|title=平成25年観光入込客数及び観光消費額調査結果概要|accessdate=2015-04-12|work=統計京都2014年9月号|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150412113653/http://www.pref.kyoto.jp/tokei/monthly/tokeikyoto/tk2014/tktokushu201409c.pdf|archivedate=2015-04-12}}</ref>。
 
== 名称 ==
一般的に「天橋立」と表記されるが、砂州を走る府道の名称は'''天の橋立'''線である<ref>{{cite web|publisher=丹後広域振興局|url=http://www.pref.kyoto.jp/tango/tango-doboku/rosenmei.html|title=路線名一覧|accessdate=2018-10-31}}</ref>。「橋立」と略される場合もあり、例えば対岸の[[与謝野町]]には[[与謝野町宮津市中学校組合立橋立中学校|'''橋立'''中学校]]がある。
 
読み方は「あまのはしだて」であるが、立の字を濁らせずに「たて」と読むことがある。2003年から2004年にかけて、宮津市と[[与謝郡]]4町の合併協議において新市の名称を公募したところ、上位10点に入った天橋立・天の橋立・橋立にはそれぞれ、濁らせた読みと濁らせない読みの両方が含まれる。なお合併自体は断念された<ref>{{cite web|publisher=宮津市・加悦町・岩滝町・伊根町・野田川町合併協議会|url=http://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/283127/my5.jp/namae.pdf|format=PDF|title=新市の名称募集結果(国立国会図書館インターネット資料収集保存事業)|accessdate=2018-10-31}}</ref>。
 
[[運歩色葉集]]』には天橋立を意味する1文字の漢字([[国字]])が記載されている。画数は39画、読みは「はしだて」である<ref name="tame">{{cite web|publisher=駒澤大学|url=https://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/ko_tame22.html|title=ことばの溜め池|accessdate=2018-10-31}}</ref>。
 
== 地理 ==
{| class="wikitable" style="text-align:center"
|+ 天橋立公園の大きさ<ref name="gaiyou">{{cite web|publisher=丹後広域振興局|url=http://www.pref.kyoto.jp/tango/tango-doboku/hashitate_gaiyo.html|title=天橋立の概要|accessdate=2018-10-31}}</ref>
! 区域 !! 延長(m)([[メートル|m]]) !! 最大幅(m) !! 最小幅(m) !! 面積(ha)([[ヘクタール|ha]])
|-
| '''大天橋''' || 2410 || 170 || 40 || 18.8
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天橋立の北部、およそ南西方向へ延びている部分を'''大天橋'''または北砂州という。切戸を隔てて南部、およそ南東方向へ延びている部分を'''小天橋'''<ref group="注釈">京都府[[京丹後市]][[久美浜町]]にある砂州([[小天橋]])とは別。</ref>または南砂州という。これら2か所が宮津湾と阿蘇海を分断し、切戸と文殊水道(天橋立[[運河]])によって両水域がかろうじて繋がっている。切戸には大天橋という「[[橋]]」が架かる。また文殊水道には小天橋という橋が架かり「廻旋橋」として知られる<ref>{{cite web|publisher=一般社団法人 プレスマンユニオン|url=https://tabi-mag.jp/ky0524/|title=廻旋橋|accessdate=2018-11-03}}</ref>。さらに文殊水道を隔てて南側にある部分を'''第2小天橋'''という。これら3か所で天橋立の砂州部分をなし、全幅は20-170メートル、全長は大天橋と小天橋を合わせて約3.2キロメートル、第2小天橋を合わせると約3.6キロメートルである。北方にある'''傘松'''地区からは3地区を眺めることができ、これら4地区を合わせて[[都市公園法]]に基づく都市公園「京都府立天橋立公園」をなす<ref name="gaiyou" /><ref name="kids">{{cite web|publisher=丹後広域振興局|url=http://www.pref.kyoto.jp/tango/tango-doboku/kids_amanohasidate.html|title=天橋立を知って守ろう!|accessdate=2018-11-04}}</ref>。文殊堂・[[智恩寺 (宮津市)|智恩寺]]とその門前町のある天橋立南方を'''文殊'''地区という<ref>{{cite web|publisher=京都府|url=http://www.pref.kyoto.jp/hashidate-model/documents/s2-07-12.pdf|format=PDF|title=2 地域の現況地形等|accessdate=2018-11-02}}</ref>。
 
全体が外洋に面さない湾内の砂州としては日本で唯一のものであり、[[白砂青松]]を具現するかのごとく一帯には[[マツ|松]]林が生え、東側には白い[[砂浜]]が広がる。この松は、人の手により植林されたものではなく、大部分が自然発生的に生えたものである{{sfn|浅井建爾|2001|pp=130-131}}。1994年(平成6年)「天橋立の松に愛称を付ける実行委員会」は、天橋立に生える老松、奇松12本の愛称を公募し「九世戸の松」「知恵の松」などが命名された。天橋立には「[[日本の道100選]]」に選定された[[京都府道607号天の橋立線]]が走っている。当路線は延長約3.2キロメートル、幅員3.5-12.1[[メートル]]であり、[[近畿自然歩道]]に指定されている<ref name="mirai">{{cite web|publisher=京都府|url=http://www.pref.kyoto.jp/tango/tango-doboku/documents/1216856684119.pdf|title=天橋立を未来に引き継ぐために|format=PDF|accessdate=2018-11-04}}</ref>。
 
== 形成史 ==
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=== 天橋立の出現 ===
2万年前、現在の宮津湾にあたる一帯は完全な陸地であった。そのため陳活雄らによると、野田川など河川からの流出土砂の堆積を考えなければ、7,000年前までは天橋立の原型すらなかった<ref name="chin">{{cite web|publisher=陳活雄、岩垣雄一|url=http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00008/1992/39-0371.pdf|title=砂嘴の形成と侵食に関する研究―天橋立海岸について―|format=PDF|accessdate=2018-11-03}}</ref>。一方、天橋立の基礎部分には砂でなく石か岩があるという説もある<ref name="mirai" />。その後、6,000年前の[[縄文時代]]に[[縄文海進|海面が上昇]]し、海底に砂州が形成され始めた。およそ2,200年前に発生した地震によって大量の土砂が宮津湾に流入し、ちょうど海面が低くなった時であったため海面上に現れた<ref name="arii" />。小谷聖史は3,000年前に海面低下によって現れたとするが<ref name="odani">{{Cite book|和書|author=小谷聖史|year=2005|title=天の橋立の生い立ち|page=45|publisher=自費出版}}</ref>、砂州は[[砂嘴]]が伸びてできるものであり<ref group="注釈">'''砂嘴'''は、湾に面した海岸や岬の先端などから細長く突き出るように伸びている砂礫質の州である。一方'''砂州'''は、砂嘴が伸びて対岸にほとんど結びつくようになったものをいう。[http://www.gsi.go.jp/kikaku/tenkei_umi.html 5.海の作用による地形](国土地理院)より。</ref>、海面低下のみを理由とする場合はその後の前進・発達が説明できない。ただ小谷の指摘は、天橋立がいつから形成され始めたかを説明するためには海面変動を考慮しなければならないことを示した点で注目された<ref name="chin" />。
 
例えば2004年の[[新潟県中越地震]]や2008年の[[岩手・宮城内陸地震]]では、土砂崩れによって川がせき止められる例が多発した。形成された[[天然ダム]](土砂ダム)は、現代においては決壊を未然に防ぐ措置を講じることもできるが、決壊した場合は大規模な土石流となって水と土砂が流下することとなる。有井弘之は、傘松付近を流れる真名井川などで発生した土石流によって供給された土砂が、阿蘇海方面へ運搬された可能性を指摘する。真名井川は現在は阿蘇海へ注いでいるが、2004年度の調査によって元は宮津湾に流入していたと考えられている。ただし、真名井川などからの流入量だけでは天橋立を形成するには足りないため、さらに北方に大きな供給地が存在した可能性がある<ref name="arii" />。
 
[[丹後半島]]東部には[[兵庫県]]北部から京都府与謝郡[[伊根町]]にわたって延びる山田断層が存在し、宮津市北部から伊根町にかけては地滑り地形が集中している。その一つ、宮津市北部の世屋川流域では、中流域の松尾集落付近に川と隣接した地滑り地形が見られる。有井によると周囲の地形から、かつて宮津市北部を震源とする地震によって地滑りが発生し、これが世屋川をせき止め、やがて土石流となって宮津湾に流れ込んだとされる。阿蘇海周辺における[[ボーリング]]調査の結果、2,200年前に阿蘇海の[[汽水域|汽水]]化が進んだと判明した。地震・地滑り・土石流はこの頃に発生し、砂州が大きくなって宮津湾と阿蘇海を分離した<ref name="arii" />。
 
=== 天橋立の発達 ===
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天橋立の松並木は[[雪舟]]筆『天橋立図』に描かれ、以降の絵画でも同様であることから、安定した林容を保ってきたと推定される。現在、天橋立には5,000本<ref name="kids" /><ref name="mirai" />から8,000本<ref>{{cite web|publisher=天橋立観光協会|url=http://www.amanohashidate.jp/spot/amanohashidate/|title=天橋立|観光スポット|accessdate=2018-11-06}}</ref><ref>{{cite web|publisher=WILLER TRAINS(京都丹後鉄道)|url=http://trains.willer.co.jp/enjoy/walking/data/0003.html|title=特別名勝 天橋立松並木を散策|accessdate=2018-11-06}}</ref>の松が生えている。
 
海岸線における松並木といえば[[防砂林]]や薪炭供給用の人工林であることが多い。ところが宮津湾においては丹後半島に守られる地形により北西[[季節風]]の影響が少なく、[[由良川]]河口に見られるのみである。季節風の影響を強く受ける丹後半島北東部に、京都府[[京丹後市]][[久美浜町]]の[[小天橋]]のような松林が見られることとは対照的である。天橋立は砂州の幅が狭く、集落などがないため防砂林的性格は薄い。また薪炭供給地としての役割も与えられなかった。阿蘇海北岸に[[国分寺]]が置かれ、古代から中世にかけて一帯は[[府中村 (京都府)|府中]]という[[丹後]]の政治経済の中心地であった。薪炭供給地であれば、近世の京都(平安京)周辺の山林が禿山であったように、近くて山を登る必要のない天橋立に松林は残らないはずである。『[[江戸幕府の地図事業#天保国絵図|正保丹後国絵図]]』の写しによると、供給地は前述のように世屋地区など宮津市北部であった。付近の林では[[コナラ]]や[[クヌギ]]が優勢であることなどから、長年にわたり供給が行われたと考えられる。
 
また、松林が維持されたのは伐採の制限があったことを理由とする。府中地区には籠神社や[[真名井神社 (宮津市)|真名井神社]]などが集まり、禁足地である山林も所有していたことから、天橋立の松林も神聖な場所として扱われていたと考えられた。近代以降は観光地・名勝地としてさらに保護されるようになっていった<ref name="arii" />。
 
== 文化的景観 ==
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=== 眺望 ===
[[ファイル:Amanohashidate view from Mt Moju02s3s4592.jpg|thumb|right|南側からの眺望 - 飛龍観]]
明治時代まで、来訪者は寺社へ参詣する旅の中で天橋立の景観を楽しんでいた。天橋立を望む視点は、自然とその道中の峠や阿蘇海などの船上、寺社周辺が主であった。とりわけ代表的な三つの視点、樗峠(おうちとうげ、現在の大内峠)、傘松、栗田峠からの眺めは三絶または三大観と呼ばれ、景観研究の対象となった。他に文殊側に位置する櫻山(桜山)や玄妙庵があり、吉見豆人は1921年、著書『天橋紀行』の中で「樗峠、傘松、櫻山、丹後富士(由良ケ岳)を天橋'''四大観'''と呼ぶそうだが、その中では櫻山が一番感じが良い」と述べた。一方『樗嶺志』は天橋四大観として栗田峠、大内峠、成相山、櫻山を挙げた。玄妙庵は1386年、[[足利義満]]が智恩寺に参拝した際に訪れ「ああこれまさに玄妙なるかな」と詠嘆したことが名前の由来であり、昭和前期の絵はがきに「玄妙庵からの眺めは四大観の一つ」という記述がある<ref name="fukamachi">{{cite web|publisher=深町加津枝|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/jila/67/5/67_5_813/_pdf/-char/ja|title=天橋立における歴史的景観の変遷と地域住民の景観評価に関する研究|format=PDF|accessdate=2018-11-04}}</ref>。
 
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| '''一字観''' || 大内峠 || 5,000
|-
| 天平の歴史みち || [[丹後国分寺]]跡 || 1,680
|-
| '''斜め一文字''' || [[傘松公園]] || 2,070
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=== 景観問題 ===
[[File:Amanohashidate embankment aerial photograph.JPG|right|thumb|天橋立の空中写真。(1975年撮影)<br/>砂州の外海側(写真下方)に設置された小型の堆砂堤が多数見える。内海側(写真上方)には設置されていない。外海側のみが、潮流による侵食を受け続けていることが分かる<ref group="注釈">分かりやすくするために、オリジナル画像より回転(画像上方が西)、拡大及び[[トリミング (写真)|トリミング]]を施す。</ref>。<br/>{{国土航空写真}}]]
; 砂州の侵食
近年、天橋立は[[侵食]]により縮小・消滅の危機にある。戦前までの砂州は、現代よりスリムで弓なりの美しい曲線を描いていたとされ、戦後は以前より歪に変形してしまったといわれている{{sfn|浅井建爾|2001|pp=130-131}}。これは戦後に河川に[[ダム]]などが作られ、山地から海への土砂供給量が減少し、天橋立における土砂の[[堆積]]・侵食バランスが崩れたこと{{sfn|浅井建爾|2001|pp=130-131}}、および府中・[[日置村 (京都府)|日置]]両地区の港湾に[[防波堤]]が設けられたことにより漂砂が遮断されたこと<ref name="chin" />が原因であるとされてきたが、{{要出典|範囲=現在は河川からの流入量の変化より、むしろ侵食の原因は湾内の海流の変化が原因であると言われる|date=2018年11月}}。侵食を防ぐため、行政では写真の南側よりの眺めである飛龍観の右側のノコギリ状になっている砂浜部分に[[養浜]]を行うために砂州上に小型の堆砂堤を多数設置し、流出する土砂を食い止めている。
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松は海岸や山の尾根などの痩せた土地でも育つ代わりに、肥えた土地では生育しにくい。自ら落とす枝葉により土壌の富栄養化が進むと、松以外の植物が育ちやすくなるのである。天橋立の松林が長く維持されたのは、住民が燃料として松の落ち葉や落ち枝を日常利用していたからである。また松は[[松脂|ヤニ]]を多く含み、燃やすと高温になるため製鉄にも用いられた。現代では[[化石燃料]]に転換するにつれ松を利用しなくなったため、根元に雑草が茂るようになった<ref name="hozen">{{cite web|publisher=京都府|url=http://www.pref.kyoto.jp/tango/tango-doboku/hasitate_hozen.html|title=天橋立の保全対策について|accessdate=2018-11-29}}</ref>。天橋立は地下水位が高く、苦労なく吸水できるため松の根が深く張らない傾向にある。また表土が栄養に富んだ腐植土となったことで、幹だけが大きく育ってバランスが悪くなり、台風や大雪による倒木も多発した<ref name="hozen" /><ref>{{cite web|publisher=参議院|url=http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2018pdf/20180301002.pdf|title=日本三景をめぐる|format=PDF|accessdate=2018-11-05}}</ref>。
 
天橋立では松を育てるための施肥や侵食対策の山土により、広葉樹が増加している。2013年8月時点、幹周り10[[センチメートル]]以上の松約4,525本に対し、同じく広葉樹は約1,260本ある<ref>{{cite web|publisher=産経新聞|url=https://www.sankei.com/smp/west/news/140131/wst1401310061-s.html|title=「白砂青松」広葉樹生えすぎて台無し!? 天橋立、3月に50本試験伐採|accessdate=2018-11-29}}</ref>。府は広葉樹の伐採と腐植土の除去を試験的に行った結果、松への日光量が増加し、中から外への見通しが良くなった。その一方で外観に大きな変化はなかった。これを踏まえ、府は5年計画により広葉樹300本を伐採し、松の密度を均等にするための移植を行う<ref>{{cite web|publisher=京都新聞|url=https://s.kyoto-np.jp/environment/article/20180929000080|title=天橋立の広葉樹伐採へ 京都府、増加で松の景観損なう|accessdate=2018-11-29}}</ref>。
 
== 名所・施設 ==
*元伊勢籠神社
*成相山成相寺 - 西国三十三所の28番札所
*天橋山智恩寺 - 808年([[大同 (日本)|大同]]3年)に創建され、古くから知恵を授かる文殊信仰の寺院として知られている。境内には[[重要文化財]]の多宝塔がある。
*[[天橋立神社]](橋立明神)
*[[薄田兼相|岩見重太郎]]仇討の場
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*[[天橋立府中海水浴場]]
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ファイル:Amanohashidate Hashidate-myojin01n4200.jpg|橋立明神
ファイル:Amanohashidate Miyazu Bay02o4592.jpg|天橋立府中海水浴場(冬季)
ファイル:AMANO-HASHIDATE (Road in sand bar) Kyoto,JAPAN.jpg|砂州にある一本道
ファイル:天橋立砂浜.jpg|天橋立の砂浜
ファイル:天橋立に咲くハマナス.png|天橋立に咲くハマナス
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ファイル:Swivel bridge in Amanohashidate Kyoto,JAPAN.jpg|廻旋橋が回転した様子
ファイル:Chie-no-wa toro.jpg|知恵の輪灯篭
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