「赤報隊」の版間の差分

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※本節と次節において、日付は旧暦を用いる。
 
薩摩藩の[[西郷隆盛]]や[[公家]]の[[岩倉具視]]の支援を得て、[[慶応]]4年[[1月8日 (旧暦)|1月8日]]([[1868年]][[2月1日]])に[[近江国]][[松尾秦川 (滋賀県)|松尾山]]の[[金剛輪寺]]において結成される。隊長は[[相楽総三]]で、公家の[[綾小路俊実]]、[[滋野井公寿]]らを盟主として擁立する。隊の名前は「赤心を持って国恩に報いる」から付けられた。一番隊、二番隊、三番隊で構成されていた。
 
相楽総三は、薩摩藩邸の浪士隊の総裁として、[[下野国|下野]]や[[相模国|相模]]、[[江戸]]市内において旧幕府軍に対する挑発的行為として工作活動などを行い、これが[[戊辰戦争]]の最初の戦いである[[鳥羽・伏見の戦い]]のきっかけにもなった。