「高代延博」の版間の差分

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{{By|2002年}}10月24日に大学の先輩・[[山本功児]]が監督を務める[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]の一軍ヘッドコーチに就任したが山本の解任もあり1年限りで退団。
 
{{By|2003年}}10月15日に中日一軍野手総合チーフコーチへのとして中日に復帰すること発表され、翌{{By|2004年}}から{{By|2008年}}まで中日一軍野手総合チーフコーチを歴任。三塁ベースコーチとしての打球への判断がよく、中日が[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]のペナントを制した{{By|2006年}}は本塁での憤死をリーグ最小の1にとどめた。2008年は、ベンチ専従となった。
 
{{By|2008年}}11月12日には[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック|第2回WBC]]の[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|日本代表]]の内野守備・走塁コーチに就任した。三塁ベースコーチを担当し、WBC日本代表の連覇に貢献した。また、議論の的になった[[亀井義行]]の代表入りを推薦した。WBC終了後、株式会社スーパーエージェントと[[マネジメント]]契約し[[東京中日スポーツ]]で[[野球評論家]]、古巣・東芝で臨時コーチを務めていた。
同年10月、[[韓国野球委員会|韓国]]の[[ハンファ・イーグルス]]の臨時インストラクターに就任し、翌年は同球団で総合コーチを務めた<ref>{{Cite web|date=2010-01-17|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/01/17/24.html|title=侍ジャパン高代コーチ ハンファのコーチ就任|publisher=[[スポーツニッポン|Sponichi Annex]]|accessdate=2010-01-17}}{{リンク切れ|date=2017年9月}}</ref>。
 
{{By|2010年}}11月2日、翌{{By|2011年}}シーズンより[[オリックス・バファローズ]]の一軍ヘッドコーチを務めることが発表される。同年9月16日のロッテ戦からは走者の本塁憤死が多かったことから[[松山秀明]]から一軍内野守備・走塁コーチに代わり、三塁ベースコーチも務めた<ref>{{cite news|author = |url = http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/09/17/kiji/K20110917001638550.html|title = オリ三塁ベースコーチ交代 岡田監督「大きいミスが…」|newspaper = |publisher = |date=2011-09-17|accessdate=2013-03-09}}</ref>。シーズン最下位が確定した{{By|2012年}}9月25日、球団から監督の[[岡田彰布]]と共に休養(事実上の解任)を告げられ、同年シーズン終了を以って正式に退団。
 
{{by|2012年}}10月10日、[[野球日本代表]]の内野守備・走塁コーチに就任したことが発表された<ref>[http://www.npb.or.jp/japan/news20121010b.html 侍ジャパン 監督、コーチ] NPB公式サイト (2012年10月10日) 2015年4月15日閲覧</ref>。11月13日に、背番号が「'''63'''」となった事が発表された<ref>[http://www.npb.or.jp/japan/news20121113.html 侍ジャパン 監督、コーチ背番号決定のお知らせ] NPB公式サイト (2012年11月13日) 2015年4月15日閲覧</ref>。
 
{{By|2013年}}10月21日、翌{{By|2014年}}シーズンより[[阪神タイガース]]で一軍内野守備・走塁コーチに就任することが発表された。オリックス時代に続いて三塁のベースコーチ担当<ref>[http://hanshintigers.jp/news/topics/info_3024.html 高代延博氏のコーチ就任について]阪神球団公式サイト2013年10月21日配信</ref>。
 
{{By|2015年}}、一軍の戦兼内野守備走塁コーチとして、三塁ベースコーチを担当しに配置転換された。
 
[[2016年]]、広島のコーチ時代に指導した[[金本知憲]]監督を一軍ヘッドコーチとして支えながら、金本の意向で引き続き三塁のベースコーチを務めた<ref name=mimura>{{cite news|author = |url = http://www.daily.co.jp/tigers/2015/10/26/0008512460.shtml|title = 高代ヘッドコーチ 監督意向受け来季も三塁コーチ|newspaper =デイリースポーツ |publisher = |date=2015-10-26|accessdate=2015-10-28}}</ref>。[[2018年]]からは、前年まで一軍作戦兼バッテリーコーチを務めた[[矢野燿大]]が[[二軍監督]]に配置転換されたため、一軍作戦兼総合コーチに配置転換される。

2019年は二軍チーフコーチ。
 
== コーチとして ==
前述のとおり、三塁ベースコーチとしての打球への判断がよく、{{By|2006年}}にはシーズン本塁憤死を1に留め[[中日ドラゴンズ|中日]]のリーグ優勝に貢献した。[[野村克也]]は高代を'''「日本一の三塁ベースコーチ」'''と語り、メディアでも'''「日本一の三塁ベースコーチ」'''と称されることがある<ref>{{cite news|author = |url = http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/117968/|title = 「日本一の三塁コーチ」の異名はダテじゃない|newspaper = [[東京スポーツ|東スポWeb]]|publisher = |date=2013-03-09|accessdate=2013-03-09}}</ref><ref>{{cite news|author = |url = https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2014/01/17/post_341/index_2.php|title =「日本一の三塁コーチ」高代延博が阪神を変える|newspaper = sportiva|date=2014-01-17|accessdate=2018-08-11}}</ref>。
 
[[毎日放送]]グループが[[猛虎ファイル#「ホームイン with Tigers」(2015年度)|「ホームイン with Tigers」]](阪神の公式戦チーム総得点数に着目した応援キャンペーン)を展開していた{{By|2015年}}には、『[[ちちんぷいぷい (テレビ番組)|ちちんぷいぷい]]』([[MBSテレビ]]平日午後の情報番組)で阪神の得点シーンの映像を定期的に放送していたことから、阪神の三塁ベースコーチとして身振り手振りで塁上の走者に指示を送る高代を(「得点=ホームイン」という連想から)「虎のお帰りジャッジマン」と称していた<ref>[http://tvtopic.goo.ne.jp/kansai/program/mbs/25312/393067/ gooTV 『ちちんぷいぷい』2015年7月17日(金曜日)放送分「昨夜のホームイン! with Tigers」 ]</ref>。
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[[山崎武司]]は著書の中で高代について上司に媚びる・監督に媚を売る・権力にものを言わせる・選手目線で対話できない指導者と記し、山崎は高代との確執でスタメンを外れることが多くなったという<ref>山崎武司著『さらば、プロ野球:ジャイアンの27年』、2014年、[[宝島社]]、P78-P80</ref>。
 
2004年から2006年の3年間中日でコーチで同僚だった[[長嶋清幸]]作戦・外野守備走塁コーチ(当時)は'''''「オレと高代さんの仲が悪いのは選手もみんな知っている。年下なのにいろいろと意見したことが気にいらなかったんだろ。でも選手をマイナス方向へ動かしたことはない。コーチが意見を出して決定するのは監督。やっかみだよな」'''''と長嶋は高代との間に確執があったことまで示唆した<ref>解任長嶋コーチ[[落合博満|落合]]監督に捨てゼリフ、[[スポーツニッポン]]、2006年10月29日より</ref>。
 
中日一軍野手総合チーフコーチ時代は球種を全て見破っているかのような素振りをするので、当時日ハムの[[ダルビッシュ有]]に嫌われていた<ref>{{cite news|author = |url = http://www.sankei.com/west/news/130623/wst1306230071-n1.html|title = WBC三塁コーチの舞台裏(5)ダルに嫌われ、金本の人生を変え、福留も…野球の財産、いつかタクトも振る|newspaper = 産経新聞|publisher = 産経新聞社|date=2013-06-23|accessdate=2018-08-11}}</ref>。
 
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