「安部英」の版間の差分

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[[山口県]][[長門市]]の[[網元]]の家に生まれる。旧制大津中学校(現・[[山口県立大津高等学校]])、[[山口高等学校 (旧制)|旧制山口高等学校]](現・[[山口大学]])[[首席]]卒業を経て、[[1941年]][[東京大学大学院医学系研究科・医学部|東京帝国大学医学部]][[医学部#医学科|医学科]]卒。1951年医学博士(東京大学)。論文の題は「プロトロンビンに関する研究」<ref>博士論文書誌データベース</ref>。
 
[[大日本帝国海軍|海軍]][[軍医]][[大尉]]として従軍し、その後1946年東京大学医学部第一内科助手、[[コーネル大学]]留学等を経て、1964年東京大学医学部第一内科講師。[[1971年]]に[[帝京大学]]に招聘され医学部教授に就任、1980年から1987年まで帝京大学医学部長、のち帝京大学[[名誉教授]]。1987年から1996年まで帝京大学副学長。1992年4月に[[勲章 (日本)|勲三等]][[[[勲等 (日本)|勲三等]][[旭日章|旭日中綬章]]を受章。著書に「シャルロッテンルンドの森の道」(随筆集、自費出版)。
 
[[薬害エイズ事件]]において、1985年5月から6月にかけての計3回、手首から出血した血友病患者に対し非加熱血液製剤(血液凝固第Ⅷ因子製剤)を投与してHIVに感染させ、エイズを発症させ死亡させたとして[[業務上過失致死罪]]で逮捕・起訴された{{Sfn|太田|2001}}。2001年の1審で無罪となり、検察が控訴したが、心臓疾患や[[認知症]]を発症したため公判停止となり、2005年4月25日に88歳で死去した。遺族側からの希望により、[[通夜]]・[[葬儀]]・[[告別式]]などは行わず、家族・身内だけでの[[密葬]]で済ませた後に死亡が公表された。